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「植田さん、日本のバレーは30年遅れています」“涙の謝罪”から10年、サラリーマンを経験した元代表監督・植田辰哉が“塾”を開講したワケ
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byToshiya Kondo
posted2022/07/08 17:00
2005年に男子代表監督に就任し、北京大会では16年ぶりの五輪出場に導いた植田辰哉。現在は母校の大商大で教授、そしてバレーボール部の総監督を務める
15年から大阪支社の営業部に配属され、JISのハンドブックを開き、一から鉄の勉強をし直した。メールの書き方や企画の出し方、わからないことがあれば隣席の社員に尋ねたが何度も同じことは聞けない。“バレーボールの植田辰哉”だけを見てきた人からすれば、想像もつかないほどの“駆け出し”の日々。
就業時間を終えてからも、自宅でも真面目にコツコツ勉強を重ねて、営業先を広げるべく全国各地へ足を運んだ。バレーボールと同様に地道な努力が実り、西武ドーム(現ベルーナドーム)との契約など、大口の営業も次々成就させた。
やりがいを感じる一方、サラリーマンとしての現実も突き付けられた。
「本社の常務と面接をした時、直に聞いたんです。『僕はどこまで行けますか?』って。選手、監督として五輪に出場するというミッションも果たし、営業成績も残した。バレーボールは企業スポーツですから、同じように引退後、社業に就くこれからの選手たちにとってロールモデルになれるよう、できるなら参与ぐらいまで行きたいと思っていましたが、実際は支店長が限界だと。『申し訳ないけれど同期入社の役員クラスと比べたら、実務経験が圧倒的に違う』と言われた時は、正直ガックリしました。
何をモチベーションにしたらいいのか。悩んで妻に相談したら『好きなことをやればいいじゃない』と。じゃあ何ができるのか、何がしたいのかと考えたら、やはりたどり着くのはバレーなんです。日本バレー界のために何かを残したい。そのためには学ばなければならない、と考えた結果、早稲田の大学院に進むことを決めました」
18年に新日鐵を退社し、早稲田大大学院の平田竹男教授の研究室へ。植田のみならず、過去にも多くのトップアスリートが門下に入り、同期にはテニスの伊達公子もいた。
集まる人材だけでなく、指導の厳しさも超一流。平田教授の著書である『サッカーという名の戦争』を読み、レポート提出を求められるのだが、生半可な内容ならば雷が落とされる。
「夜中だろうと電話が来て『この内容は何ですか、本当にちゃんと読みましたか?』と叱責されたこともありました(笑)。でもその厳しさは研究テーマを認めてくれているからこそであり、一人一人と深く、親身に接してくれる。平田研究室で学んだこと、人脈、すべてが財産です」
ブラジルバレーを研究「日本は30年遅れている」
植田が研究テーマとして選んだのは『ブラジル男子バレーボールが世界で勝つための強化策。フィジカルトレーニングの年代別指針を定めたブラジル連盟のリーダーシップとプロクラブの協力』。
本来ならば協会の中で残すべきデータや方向性を形として示すべく、ブラジル育成年代のスペシャリストで、昨季までVリーグの埼玉上尾メディックスで指揮を執ったアントニオ・マルコス・レルバッキ氏の協力を仰いだ。
ブラジル代表として選抜され、活躍する選手たちがどの年代で、どんなきっかけでバレーを始め、どんな練習、トレーニングを重ね、指導者はどのように育成されるのか。すべてを順序立てて細かく分析、研究するうち、それまで以上に危機感を覚えたと振り返る。
「マルコスさんからも『植田さん、日本のバレーは30年遅れています』と。北京五輪でフィジカルトレーニングや食事の重要性を実証したつもりでしたが、それが今の高校生に受け継がれているかといえば学校によって大きく異なるのが現状です。トレーニングを積極的に取り入れる高校もあれば、根拠もないまま『試合をすればいい』とボール練習やゲームばかりでフィジカルに目を向けない高校もある。それではダメなんです。
もっと協会がリーダーシップを取って、たとえばU15は必ず週3回トレーニングを入れ、21歳頃には身体が出来上がった状態で技術を磨きましょう、と指針を示さなければならないはずなんです」
植田の言葉が熱を帯びる。
「高校で終わり、ここで勝てばいい、ではなく日本が強くなるために必要だからです。実際ブラジルはU18で世界大会に出場しても、そこで求めるのは勝利ではなく、シニアに通ずる選手をどれだけ育てられるか。そのための、アンダーカテゴリーなんです。
でも日本はどうかと言えば、その時々で勝利を求め、強化はぶつ切り。代表が勝てば普及につながるという時代はとっくに過ぎ、理念や指針がないから結果が出なければ切り捨てられる。そうではなく、バレーボールには夢がある、と思わせることができれば、自然に人も資金も集まり、可能性も広がる。自分がよければいい、ではなく、未来のバレーボール界のために何ができるか。大切なのはそこです」