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「植田さん、日本のバレーは30年遅れています」“涙の謝罪”から10年、サラリーマンを経験した元代表監督・植田辰哉が“塾”を開講したワケ
posted2022/07/08 17:00
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
Toshiya Kondo
年明け間もない、2022年の春高バレー。自身が解説する試合を終えても、植田辰哉はスタンドから男女を問わず、次世代を担う選手たちの姿を見ていた。
かつて8年にわたり男子バレー日本代表を率いた植田の言葉の端々から浮かび上がるのは、危機感だった。
「男子は高校生にも日本代表で取り組んでいるバレーが浸透し始めて、ブロックの意識やバックアタックを絡めた攻撃など、まだまだとはいえ、光は見え始めています。でも女子はどうかと言うと、オーバーセットはホールディング(キャッチ)を取られてもおかしくないほど持つし、ブロックも1対1で後ろとの連携もない。ここで勝つためだけでなく、もっと先を見据えた指導をすべきです。何より、男女とも身体の線が細すぎる。ちゃんと、トレーニングをしないと」
中学生の前で涙「本当に、申し訳ない」
忘れえぬ記憶がある。
2012年、ロンドン五輪出場をかけた最終予選で敗れた後、代表チームのスタッフと共に訪れた中学選抜の合宿だ。監督在任中は国際大会のシーズンが終わると、必ず合宿に足を運び、日本代表で行うトレーニングや練習方法などを直接伝え、指導をする機会を設けてきた。
未来の日本代表を背負う子供たちの前で植田は深々と頭を下げ、涙をこぼした。
「日本代表の監督として、みんなの夢を、オリンピック出場という形でつなぐことができなかった。本当に、申し訳ない」
言葉を紡ごうとしても、溢れるのは涙ばかり。顔を上げると、周りにいる中学の指導者たちもみんな泣いていた。
「代表監督の仕事はチームの強化。これは間違いありません。でも同じぐらい、中学生、高校生、これからの世代に夢を与える道をつくることでもあります。オリンピックに出られなかったということは、その時共に戦った選手たちだけでなく、これからを担う選手たちの夢もつぶしてしまったということ。結局、振り返ると、思い出すのは苦しいことばかりなんですよ」
北京五輪から14年、ロンドン五輪から10年。植田は今、母校の大商大で教授、バレーボール部の総監督を務める。立場は変わっても、変わらず考えるのは、選手のこれからに必要なことは何か。春高に出る高校生を称賛しながらも未来を見据え危機感を抱く。その背景にはブレない信念がある。