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「植田さん、日本のバレーは30年遅れています」“涙の謝罪”から10年、サラリーマンを経験した元代表監督・植田辰哉が“塾”を開講したワケ 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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photograph byToshiya Kondo

posted2022/07/08 17:00

「植田さん、日本のバレーは30年遅れています」“涙の謝罪”から10年、サラリーマンを経験した元代表監督・植田辰哉が“塾”を開講したワケ<Number Web> photograph by Toshiya Kondo

2005年に男子代表監督に就任し、北京大会では16年ぶりの五輪出場に導いた植田辰哉。現在は母校の大商大で教授、そしてバレーボール部の総監督を務める

 自ら率先して動くべく、大商大の教授として研究を継続し、総監督を務める男子バレーボール部での活動に加え、昨年10月に和歌山県田辺市で「龍神植田塾」を開講した。

 北京五輪翌年の09年、男子バレー日本代表に“龍神ニッポン”の愛称がついたことから、同じ名がつく和歌山の龍神村(現在は田辺市)の住民が代表戦の応援に訪れるなど縁が育まれた。その後も親交が続き、地元の協力を得て小中学生を対象にスタートした塾へ、月に一度植田も自ら指導に赴く。

 元アナウンサーによるコミュニケーション講座や、マット運動や器具を用いたものなど年代や身体に応じたトレーニングを専門家の指導のもとで行い、会費は1回1000円。田辺市を中心にした紀南地方の自治体の協力もあり、30社を超えるスポンサーも集まった。

「強制的にやらされるのではなく、自分で『やりたい』『うまくなりたい』と望む子たちに、それが叶う環境をつくってあげたい。それぞれ和歌山県内の違う中学校から参加してくれているので、塾で習ったこと、得た知識をそれぞれのチームに還元してくれればいい。英語塾や学習塾と同じで、“塾”ですから、あくまで重きを置くのは個々のレベルを上げ、優秀なアスリートを育成することです」

「指導者が報われるバレー界にしたい」

 大商大のバレーボール部には元日本代表選手で現在ジェイテクトSTINGSのコーチでもある酒井大祐を監督に招聘した。強化は酒井に任せるが、新年度には必ず大商大として何を目指し、何を求めるかを具体的に示す。営業マン時代、そして大学院で磨かれたスキルを活かし、簡潔に、ただしポイントは逃さず、技術面やトレーニング、戦術などを提示している。栄養指導も同様だ。

「すべて数値化するので一目瞭然、サボればすぐわかるし、頑張れば数字が変わる。栄養バランスを考えて食事を摂りなさい、と言っても下宿の学生は食事代も限られるじゃないですか。でも学生年代の彼らに、そこは妥協させたくないので、お金を渡して『米と卵、納豆、乳製品、肉、必要なものを買って領収書をもらってくるように』と言うと、意識するようになる。『昨日はササミを料理しました』と言ってくる選手がいるかと思えば、えらい金額が高いから、何を買ったんだ? と明細を見ると牛肉と書いてあるので『牛肉はあかん、贅沢や』と言ってみたり(笑)。

 今はまだ大学として結果を出せていませんが、一つ一つ、形になっていけばいいと思うし、そこから価値を見出せるように。一生懸命やっている選手、指導者が報われるバレー界にしたいんですよ」

 張り詰めるほどの緊張感に包まれていた北京五輪の頃には見せることのなかった、穏やかな笑顔で“これから”を見据えている。

(つづく)

#2に続く
慶応大・柳田将洋、中央大・石川祐希…あの“NEXT4”はなぜ誕生した?「当時は男子バレーが話題にならなかった」逆風の時代に仕掛けた“人気戦略”

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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