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「マヨネーズはかけないで…」糖尿病を克服し千代の富士に8連勝、“おしん横綱”隆の里の「ビデオデッキが壊れる」ほどの徹底研究とは 

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荒井太郎

荒井太郎Taro Arai

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posted2022/06/01 11:04

「マヨネーズはかけないで…」糖尿病を克服し千代の富士に8連勝、“おしん横綱”隆の里の「ビデオデッキが壊れる」ほどの徹底研究とは<Number Web> photograph by KYODO

昭和58年(1983年)7月の名古屋場所千秋楽、千代の富士を寄り倒し横綱昇進を確実にした隆の里。通算16勝12敗と全盛期の“ウルフ”と互角以上に渡り合った

「理由はいっさい言わなかったから、いつしか自分は変わり者扱いされ、そのうち誰も寄ってこなくなった。弱点を知られるわけにはいかないので、周りの目を気にする余裕もなかった」とのちに鳴戸親方(元横綱・隆の里)は語っている。たとえ、同部屋の兄弟弟子でも稽古場ではライバルであり、弱みは絶対に見せるわけにはいかなかった。

「千代の富士研究」で新品のビデオデッキが即、廃品に

 強くなるためなら孤独になることも厭わなかったが、やはり心の奥底には寂しさを感じていたに違いない。そんな愛弟子の心情を慮ってか、師匠は取的時代の隆の里を付け人に付かせ、常に自分のそばに置いた。のちの“おしん横綱”は親方の給仕や背中を流しながら“土俵の鬼”の薫陶を一身に受け、自身の血肉としていった。

 稽古場では、土俵際で力を抜く相手を容赦なく壁の羽目板に叩きつけた。「俵のところで力を抜くやつは突き飛ばしてやれ」という師匠の教えを忠実に守っていたからだ。周りからは異端児扱いされようとも「やられた相手は委縮するかもしれないし、なにくそと闘志を剥き出しにしてやり返してくるかもしれない。稽古相手を怒らせて本気にさせる。そうなって初めて精神面も含めた相手の力量がわかる。本当の稽古はそこからだ」と全く意に介さなかった。

 昭和55年(1980年)以降、“ウルフ”と呼ばれた男は肩の脱臼癖に悩まされた低迷期を抜け出すと、瞬く間に大関、横綱へと駆け上がっていった。持病を克服し、番付が急上昇した隆の里だが、最強と言われた力士を倒さないことには、自身の横綱昇進もあり得ないと捉えていた。

「千代の富士に勝つということは3勝分の価値があった。勝てば評価も上がるし、自信もつく」

「打倒、千代の富士」を誓ってからは取組映像をビデオが擦り切れるほど、何度も見返して研究を重ねた。立ち合いの場面でスローモーションと一時停止を繰り返すあまり、新品のビデオデッキは即、廃品になった。ライバルに関する新聞記事、写真、コメントは全て穴があくほど目を通し、情報を頭に叩き込んだ。わずかな心の隙も見せまいと、巡業の取組でも“本場所モード”で勝ちにいった。

「千代の富士ほどの男なら、たかだか1回の花相撲の勝ちでも優位に立ってしまうだろう。ただの一度でも勝ちを譲ったなら、私の気弱な部分をきっと見抜いていただろう」

【次ページ】 あの千代の富士を高々と…“おしん横綱”の集大成

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