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「マヨネーズはかけないで…」糖尿病を克服し千代の富士に8連勝、“おしん横綱”隆の里の「ビデオデッキが壊れる」ほどの徹底研究とは

posted2022/06/01 11:04

 
「マヨネーズはかけないで…」糖尿病を克服し千代の富士に8連勝、“おしん横綱”隆の里の「ビデオデッキが壊れる」ほどの徹底研究とは<Number Web> photograph by KYODO

昭和58年(1983年)7月の名古屋場所千秋楽、千代の富士を寄り倒し横綱昇進を確実にした隆の里。通算16勝12敗と全盛期の“ウルフ”と互角以上に渡り合った

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荒井太郎

荒井太郎Taro Arai

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 大鵬に次いで30回超の優勝を果たし、史上初の通算1000勝という金字塔も打ち立て、長く角界の頂点に君臨した大横綱・千代の富士にも、歯が立たない“天敵”がいた。

 同じ右の相四つゆえ、がっぷりになるとどうしても力負けしてしまう。大関時代から横綱昇進後にかけて8連敗を喫し、ライバル不在と言われた全盛期も苦戦を強いられた。幕内の通算対戦成績でも12勝16敗と負け越している相手が、第59代横綱・隆の里だった。

 不断の節制と努力で糖尿病を克服した隆の里は、30歳を過ぎて番付最上位に上り詰め、遅咲きの花を咲かせたことから、当時の国民的人気ドラマに因んで“おしん横綱”と言われた。

「サラダにはマヨネーズをかけないでください」

 千代の富士と隆の里は、新十両昇進が同じ昭和49年(1974年)の九州場所だった。この前場所、のちに“ウルフ”の異名を取る19歳の新鋭は7戦全勝で幕下優勝を果たし、見事ワンチャンスをモノにした。年齢で3歳上の隆の里は幕下上位で約2年、“道草”を食った末、西幕下筆頭で4勝3敗となんとか勝ち越し、ようやく関取昇進を決めたのだった。隆の里は千代の富士について、当時はライバルと公言することはなかったが、「心の中では常に意識する存在だった」という。

 出世が遅れたのは、このころすでに糖尿病を患っていたからだが、病名は徹底して伏せられた。事実を知っているのは本人以外には、師匠(元横綱の初代若乃花)とおかみさんだけ。青森県の同郷で同じ汽車で上京した同期生、若三杉(のちの横綱2代目若乃花)にさえも、ひた隠しにした。

 部屋の力士たちで食事に行く際も、ハンバーグやエビフライ、ステーキなど豪勢なオーダーが飛び交う中で、自身はメニューをじっと見た挙句、わかめスープを頼み、「サラダにはマヨネーズをかけないでください」「野菜炒めは油をあまり使わないでください」と細かい注文も付け足すので、兄弟子たちからは「いちいちうるさいやつだ」と怒られた。酒席の誘いもほとんど断り、断り切れない場合は乾杯の酒だけは飲み、2杯目からはトマトジュースをすすった。

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