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「北の湖さんこそ真の天才」13歳で角界入り、史上最年少で横綱昇進…「強すぎて嫌われた大横綱」が最後に輝いた“夏場所の奇跡”とは
text by
荒井太郎Taro Arai
photograph byKazuhito Yamada
posted2022/05/17 11:02
2015年11月、現職理事長のまま62歳で亡くなった北の湖敏満。史上最年少21歳2カ月での横綱昇進、幕内最高優勝24回と、まさに昭和の大横綱だった
アンコ型の体型に似合わず、巻き替えのスピードとうまさは天下一品だった。高い技量が求められる廻しの切り方も、北の湖にかかればいとも簡単にやってのけた。こんな逸話を聞いたことがある。
引退後、師匠として弟子たちの前で実演することになり、自身が履くバギーパンツのウエスト部分を廻しに見立て、現役力士に両手で握らせ、がっぷり四つに組んだ。すると尻を軽く振っただけで硬く握っていた両手は一瞬のうちにパッと離された。実際の締込より明らかに難易度は高いはずだ。あまりの鮮やかさに力士たちは皆、呆気にとられ、しばし言葉を失った。そんな“神業”を幾度となく体感したであろう往年のライバルによる「北の湖さんこそ真の天才」という証言は説得力を持つ。
「応援されてガクッと…」嫌われた大横綱、最後の輝き
昭和53年の北の湖はまさに最強だった。年間6場所制覇にはわずかに及ばなかったが、初場所から5連覇を達成し、82勝をマークして当時の年間最多勝記録も塗り替えた。
右ヒザのケガで56年九州場所は入門以来初の休場を余儀なくされると、その後は目に見えて休場が増え、優勝のペースもガクンと落ちた。現役晩年は館内のあちこちから「北の湖、頑張れ」の歓声が沸き起こったが、全盛期には考えられない現象だった。
「どんなヤジも気にならなかったけど、『頑張れ』と言われたときはガクッときた」と稀代の“アンチヒーロー”は自身に向けられた声援で、力の衰えを思い知った。応援されて落ち込む力士は、後にも先にも北の湖しかいないに違いない。
59年初場所、横綱としての皆勤場所では自身最低の8勝7敗に終わり、限界説も囁かれたが、2場所後の同年夏場所はあれよあれよという間に15戦全勝で約2年半ぶり、24回目となる奇跡の復活優勝を果たす。すでに満身創痍だったが翌年1月に開館する新国技館(現・両国国技館)の土俵に立つという執念が実を結んだ、自身最後の賜盃だった。