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「北の湖さんこそ真の天才」13歳で角界入り、史上最年少で横綱昇進…「強すぎて嫌われた大横綱」が最後に輝いた“夏場所の奇跡”とは
posted2022/05/17 11:02
text by
荒井太郎Taro Arai
photograph by
Kazuhito Yamada
今から69年前の昭和28年5月16日、夏場所初日にあたるこの日から、NHKによる大相撲のテレビ中継放送が始まった。奇しくも同日、のちの昭和の大横綱が北海道で産声を上げた。第55代横綱北の湖である。
まさにテレビが各家庭の主役だった昭和50年代前半には、横綱輪島とともに毎場所のように優勝を争い、“輪湖時代”を築き上げた。しかし無類の強さを誇っていた北の湖は、ふてぶてしい土俵態度もあって「憎たらしいほど強い」と揶揄された。
一方の輪島は日大時代、2年連続で学生横綱に輝くと、プロの土俵でも幕下付け出しのデビューからわずか3年半で頂点に上り詰めた。その異例のスピード出世と、「下手からの芸は大成しない」と言われていた当時の角界で、左半身という半端相撲のスタイルながら“黄金の左”と言われた左下手投げを武器に優勝を重ねていったことから、しばしば“天才”と称された。
しかし、当の輪島本人はこれに異議を唱えていた。生前、筆者のインタビューでは「私は北の湖さんのほうが天才だと思う。13歳で相撲の世界に入って、若くして横綱になったんだから」とかつてのライバルを評した。
天才力士が引退後に見せた“神業”
北の湖が入門した昭和42年当時は、中学生力士の存在が許されていた時代だった(47年初場所より義務教育を修了した男子に入門規定が改められた)。中学1年の冬に上京し、三保ヶ関部屋の門弟になると学校も墨田区立両国中学に転校。学業最優先という師匠の方針のもと、稽古は毎週日曜と学校の長期休みの期間しかやらせてもらえなかった。普段は早朝の掃除を済ますと、稽古場には降りずに登校し「四股や鉄砲もやらなかった」というが、1年後の14歳のときに序二段で7戦全勝の好成績を収めた。さらに15歳で幕下に昇進したが、これは今後もまず破られることのない若年記録であり、21歳2カ月での横綱昇進は、今も破られていない史上最年少記録だ。