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両肩脱臼で「相撲人生これで終わり」のはずが… 千代の富士が「筋肉の鎧と大横綱の地位」を手にした肉体改造〈腕立て毎日最低500回〉

posted2022/05/15 11:03

 
両肩脱臼で「相撲人生これで終わり」のはずが… 千代の富士が「筋肉の鎧と大横綱の地位」を手にした肉体改造〈腕立て毎日最低500回〉<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

昭和から平成にかけての大横綱・千代の富士。“爆弾”を両肩に抱えながらも鍛錬した肉体で勝ち星を積み上げた

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NumberWeb編集部

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BUNGEISHUNJU

雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回は千代の富士にまつわる4つの言葉です。

<名言1>
あれ、何回も自分ではずしたりはめたりしているうちに丈夫になるんだろうね。痛くもなんともなくなっちゃうんだろうね。
(千代の富士貢/Number23号 1981年3月5日発売)

◇解説◇
 通算1045勝と幕内807勝、横綱としても59場所在位して通算625勝……。第58代横綱・千代の富士貢が残した偉大な記録である。

 そんな千代の富士を語る上で欠かせないのが「肩の怪我との戦い」である。投げを中心にした取り口ゆえ、脱臼癖を引き起こすことになってしまったのだ。

 Numberが初のインタビューを敢行した81年、大関昇進が決まった時点で千代の富士は左肩7回、右肩1回の脱臼歴があった。インタビュアーに「最初の怪我は?」と問われると、このように話した。

「大阪の本場所でした。ゴキッって音がした」

「昭和46年の10月、三段目のときに外掛けをくって右くるぶしの上の骨を折っちゃった。(脱臼については)やっぱり三段目のときで、大阪の本場所でした。ゴキッて昔がした。突き指して指引っぱるとコキッと鳴るでしょう。これの鈍い大きな音ですね」

 壮絶な体験を何度もしていたわけだが……「器用だから。昔だったら忍者になれたよ。箱抜けとかなんとかいうやつ(笑)」と、千代の富士は自ら肩をハメて応急処置する様子について冗談めかして話すのだから、器の大きさを感じる。

両肩に爆弾を抱えた状況から幕内優勝31回

<名言2>
右の肩をやったときには、ほんとうに相撲人生これで終わりじゃないかと思いました。
(千代の富士貢/Number271号 1991年7月5日発売)

◇解説◇
 千代の富士は入門当時、177cm71kgというギリギリの小さな体格で相撲の世界に飛び込んだ。そこから1045の勝ち星を手にし、31回の幕内優勝を成し遂げた。

 初優勝が昭和56年の初場所東関脇の時だったのだが、この時点で左肩脱臼がクセとなっていた。そしてさらなる悲劇に襲われたのは昭和54年の春場所である。

【次ページ】 腕立て伏せ、毎日最低でも500回やったよ

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