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「柔道三段、四段の腕を折って勝つのは痛快だ」“格闘技界のレジェンド”中井祐樹を北大で七帝柔道へと誘った「血湧き肉躍る檄文」とは

posted2022/05/13 17:00

 
「柔道三段、四段の腕を折って勝つのは痛快だ」“格闘技界のレジェンド”中井祐樹を北大で七帝柔道へと誘った「血湧き肉躍る檄文」とは<Number Web> photograph by Susumu Nagao

国内外の格闘家からリスペクトされる中井祐樹氏。2013年にはアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラらの師匠ヒカルド・デラヒーバの引退試合の相手も務めた

text by

布施鋼治

布施鋼治Koji Fuse

PROFILE

photograph by

Susumu Nagao

青木真也、扇久保博正、斎藤裕、平良達郎など、有名格闘家を数多く輩出しているパラエストラ・ネットワーク。同道場を設立した中井祐樹(日本ブラジリアン柔術連盟会長)は、北海道大学柔道部で“寝技”に目覚め、その世界にのめり込んでいく。UWFに熱狂するプロレス青年だった中井は、いかにして日本におけるMMAと柔術のパイオニアとなったのか。七帝柔道との運命的な出会いと、北大時代に味わった“挫折”に迫った。(全2回の1回目/後編へ)※文中敬称略

 若いうちに一生打ち込めるものに出会えるかどうかが、その人間の運命を大きく変える。日本にブラジリアン柔術を普及させたパイオニアである中井祐樹の場合、北海道大学への入学をきっかけに、七帝柔道と出会ったことがターニングポイントになった。

 大学入学以前は、札幌で1、2を争う進学校として知られる札幌北高に通っていた。部活動はレスリング。なぜお世辞にもメジャーとはいえないスポーツをやっていたかといえば、将来プロレスラーになろうと思っていたからだろう。当時、地方在住のプロレス少年には、プロレスラーになるためにはレスリングをやることが近道と思われていた。

 中井は「だからレスリング部のある学校を選びました」と振り返る。

「レスリングができて、なおかつ(偏差値が高いということで)周囲を納得させられる北高にしたんですよ」

 高校1年生のときには札幌の大会で早くも65kg級王者になった。しかし、全道大会に行くと勝てない。2年生の後半になると、高校の同期に実力で抜かされていくことを感じた。中井はプロレスラーになる夢を半ば諦めようとしていた。

「普通の高校生になろうとした」という中井は、代わりに受験勉強に打ち込んだ。

「3年のクラスは仲睦まじくて、授業が終わってもみんな残って勉強していました」

「東大に行く」と宣言した高校時代

 地元・浜益村(現在は石狩市に編入され浜益区に)で過ごした小・中学校時代はとてつもなく勉強ができたので、神童扱いされていた。テストになれば、100点をとるのは当たり前。90点台だと、周囲が「どうしたの?」と首を傾げるほど賢かった。北高でも成績は悪くなかったので、中井は周囲に「共通一次(現大学入学共通テスト)で800点満点中720点以上とったら東大に行く」と宣言した。

「わりと仲が良かった友達も東大を受けていましたからね。いまにして思えば、僕なんかがそんな簡単に行けるわけがない(笑)」

【次ページ】 のちの大宅賞作家の“檄文”に惹かれて柔道部へ

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