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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「(大谷)翔平は人懐っこく言葉も丁寧ですが」「電撃トレードとFAは…」プロ13年で引退・大引啓次37歳が“大学院に進学”した理由
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byHideki Sugiyama
posted2022/04/24 17:02
引退後の大引啓次。オリックス時代に加えて大谷翔平とともにプレーした日本ハム時代、優勝したヤクルトでの思い出を語ってくれた
実は、私がヤクルトに加われば優勝できるかなという気持ちもあったんです。“ヤクルトは2年連続で最下位でしたが、どうもショートがウィークポイントやぞ”、と。そこに自分が入ることで……私としては現役の間に一度は優勝を経験してみたいなと思いました。
それから日本ハムの1年目に選手とコーチの関係でやらせてもらった三木肇さんが、ヤクルトのコーチに就任されたのも大きかった。三木さんは、非常に野球をよくご存じで、私の野球観とリンクするところがたくさんあり、もう一度一緒にやってみたいなと思ったんです」
パとセでは野球のスタイルが違った
――初めてのセ・リーグはやはりファンの反響が違ったそうですね。
「やっぱりセ・リーグのファンは熱狂的と言いますか、平日のナイターがあれだけ埋まるのはセ・リーグやなと感じましたね。もちろんヤクルトもそうですし、カープや阪神、ジャイアンツの3球団は本当にファンが熱狂的で、カープのときは神宮球場の6割くらい赤に染まっているんじゃないかという感じでした」
――セ・リーグでは野球のスタイルも違いましたか。
「セの野球はノーアウトで初回にランナーが出たら、2番が簡単に送っている場合じゃない。送るだけじゃなく、打っていったり、粘ったり色々な作戦に転じられる選手でないときついなと感じましたね」
――そして大引さんの予想通り、この年のヤクルトは真中満監督のもと、リーグ優勝を果たしました。
「私の優勝経験はこの年だけです。首位打者が三塁の川端慎吾、打点王が一塁の畠山和洋、ホームラン王が二塁の山田哲人と、私の周りにいる内野手が全部打撃タイトルを取っていまして(笑)。私はわき腹を痛めてしまって96試合の出場にとどまりました。でも、私が故障から復帰したときにチームはまだ下位だったんです。そこから団子レースを勝ち抜いて優勝したので、その一翼を担えたのかなと。優勝は格別ですね。苦労が報われた感じがしました」
ショートができないのならいつ引退してもいいかな
――キャリア最後の2年間、大引さんは三塁を守りました。
「もうショートができないのならいつ引退してもいいかな、というのはありましたね。当時の小川(淳司)監督にもっと積極的に“もう1回やらせてくれ、その上で今ショートを守っている若い子に自分が劣るのであれば、二軍でいいです”と言えばよかったとは思います。でも、チームから守備固めで三塁を守ってくれ、サードの面倒を見てくれ、という気の遣い方をされたので、言い出せなかった。自分のプライドもあるし、チーム事情もありますから、大きな葛藤でしたね」
このあたり、プロの内野手として長年やってきた職人選手ならではの心の動きではある。