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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
“暴力を振るわない恩師への感謝”とドラフト直前の連絡… 「宮司の息子」で通算1004安打の名ショート大引啓次37歳が明かす野球人生
posted2022/04/24 17:01
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Hideki Sugiyama
大阪市住吉区、JRと地下鉄長居駅のそばに神須牟地(かみすむぢ)神社という神社がある。たまたま筆者は近所に親せきがいるので、何度か境内を通ったことがあるのだが――「大引啓次」と刻まれた玉垣があるのを見つけて驚いたことがある。
オリックス、日本ハム、ヤクルトで活躍した大引啓次は、この神社の宮司の子として生まれた。そんな彼に高校・大学とプロ野球選手になるまでの経緯や、プロ生活で得た経験値と大学院生として過ごす現在について幅広く聞いた。(全2回/#2も)
“手を上げなかった”恩師の下で創意工夫を
――まずは野球人としての経歴を聞く前に、「神社の子」として育つのは、どんな感じななのでしょうか?
「いえ、普通の家の子と変わったところはありませんよ。ただ広い境内があるので、小さいころから野球遊びをしていましたね。すでに公園でのボール遊びは禁止になっていましたから、その点では恵まれていたかもしれません」
――小学校時代に兄と共に少年野球を始めたそうですね。
「最初は投手でしたが、肩をよく怪我したので中学に上がるタイミングでショートに転向しました。ピッチャーは毎日試合に出られないな、でも野手なら毎日試合に出られるなと、思ったんです」
ここから大引は「生涯一ショート」と言ってもよい野球人生を送る。中学時代に全国大会に出場。高校は浪速高校へ。ここで名指導者である小林敬一良と出会った。
「小林先生が手を上げるのを見たことは一度もありません。浪速高校はグラウンドが狭いなど必ずしも恵まれていない環境なので、他の強豪校に勝つためにはどうすればいいのか考えさせられました。トレーニングの指示はあるのですが、それ以上に“君は何のためにそれをやっているか考えているか?”ということを問われました。選手が創意工夫をすることを推奨してくれる方でしたね」
タバコも吸うような先輩たちを見ると……
実は小林敬一良さんは筆者の高校の先輩で、SNSで意見を交換する間柄。小林は大引が現役のころから「あいつはようできたやつやで」と言っていたのが記憶に残っている。
そんな小林の指導のもとで浪速高校は2001年春の甲子園に出場し、ベスト8まで進出した。2年生の大引は1番ショート、長打力のある内野手として注目され、同世代には大阪桐蔭・西岡剛(ロッテ、阪神など)や酒田南・長谷川勇也(ソフトバンク)などがいた。大引は卒業後、法政大学に進んだ。
彼の半生を眺めると、大引啓次は人生の節目で常に「肚が据わっていた」「きちっと準備ができていた」という印象がある。高校から大学、大学からプロ、プロでの移籍に際しても大引はチームに入団してすぐに実力を発揮し、結果を出している。大学でも当初はレベルの差を感じていたが、すぐに頭角を現したのだ。