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なぜベンチ外のはずの阿部さんが? 「浦和の背番号22を継承」柴戸海に託された“天皇杯決勝前、40歳現役最後の貢献”とは
text by
塩畑大輔Daisuke Shiohata
photograph byJ.LEAGUE
posted2022/01/21 17:02
2021年、ホーム最終戦の引退セレモニー前の阿部勇樹
国立競技場のロッカールーム。
阿部はひとり静かに「ミッション」を続けていた。ピッチ上では、ベンチ入りメンバーがウォームアップを始めていた。その中に、柴戸の姿もあった。負傷の影響を感じさせない姿で走る。なんとか先発でいけそうだ。首脳陣はそう判断した。
スタッフが、それを阿部に伝えに来た。厳しかった表情が、柔和なものに変わる。
自分の役目は終わった。
手を振って、ロッカールームを出る。阿部はゆっくりと、ピッチがある階層から観客席のほうへと上がっていった。
“常軌を逸していた”柴戸が最後に放ったボレー
柴戸の働きはすさまじかった。工藤コーチはそれを「常軌を逸していた」と表現した。
誰よりも走る。相手からボールを刈り取り続ける。攻撃の起点になる。「ケガの影響を感じさせない」にとどまらない、神がかったプレーぶりだった。コロナ禍による入場制限が解け、隙間なくスタンドを赤く染めるサポーターも後押しした。声こそ出せないが、数万人の拍手は力強い。皆が鬼気迫るプレーを続ける柴戸への支持を表明する。勇気づける。
そして、同点で迎えた後半ロスタイム。
コーナーキックのこぼれ球を、柴戸は左足ダイレクトボレーで正確に撃ち抜いた。その軌道上にいた槙野智章が、強烈なシュートの角度を頭でわずかに変える。腰砕けになった相手GKは、反応すらできなかった。
上半身裸になった槙野が走る先で、真っ赤なスタンドがうねっている。
そうだ。浦和はこうでなくては。
観客席の阿部は、選手とサポーターに向けて、力を込めて拳を掲げた。
2022年1月、浦和ユースの練習に参加して
2022年1月、さいたま市・与野八王子サッカーグラウンド。
阿部は凍てつく風が吹きつける人工芝のピッチに、静かに足を踏み入れた。そこは、浦和ユースの練習場だった。視線の先では、高校生世代の選手数人が自主トレをしている。
阿部はごく自然に、彼らの練習の輪に加わった。
ほどなくしてその額に、うっすらと汗がにじみ出す。
指導者としての第一歩は、浦和ユースのコーチとして踏み出すことになった。
くしくも時を同じくして、戦友である水上さんが、29年携わってきたトップチームから下部組織に異動になった。阿部の次男が浦和の下部組織に入団するタイミングにも重なった。さらに言えば、現役時代の背番号「22」を、あの柴戸が引き継いでくれることにもなった。
つくづく思う。
人生とは縁でできている。レスター移籍も、オシムさんとの再会も、すべてがいまにつながっている。
これからも、縁は続くことだろう。ストーリーも続く。冬空の下、ボールを蹴りながら、あらためて心に誓う。
サッカーを通して、街を一丸にし、熱狂へといざなう。
そんなミッションを、これからも続けていく。
<第1回、第2回から続く>