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なぜベンチ外のはずの阿部さんが? 「浦和の背番号22を継承」柴戸海に託された“天皇杯決勝前、40歳現役最後の貢献”とは
text by
塩畑大輔Daisuke Shiohata
photograph byJ.LEAGUE
posted2022/01/21 17:02
2021年、ホーム最終戦の引退セレモニー前の阿部勇樹
もう、次のステップに進んだほうが、浦和をひとつにまとめる力になれるのかもな――。
9月6日。40回目の誕生日に、阿部勇樹は決断した。2021年シーズン終了をもって、現役を引退する、と。
自らiPadを使ってあいさつ先リストをつくって
お世話になった方には、自分の口から引退することを伝えたい。
できる限り、クラブからの公式発表より前に。阿部は水上さんに、そう相談を持ちかけた。治療・リハビリには、今まで通りに全力をそそいでいく。一方で、少しでもあいた時間があれば、関係者へのあいさつのスケジュールを入れていく。
サッカー関係者。スポンサー。契約メーカー。友人、知人。阿部が水上さんとともに考えた「伝えるべき先」は数百にも及んだ。自らiPadを使ってあいさつ先リストをつくり、抜け漏れがないように日程を組んだ。
ひとりで電車を乗り継ぎ、地元企業などを回る。あるオフの日には、新幹線で大阪まで赴き、相手を驚かせた。
ただ、阿部ほどの選手の進退には、ニュースバリューがある。情報をつかんだスポーツ紙が報じたことで、想定よりも早く引退が世に知られることになった。予定通りにあいさつ回りを終えることはできなかった。引退報道の直後。阿部は旧知のライターにすぐさま、律儀にこうLINEをしている。
「事前にお知らせするつもりだったのですが……予定が狂ってしまい、本当に申し訳ありませんでした」
12月4日、リーグ最終節・名古屋戦。
阿部は途中出場で、4カ月ぶりに公式戦のピッチに立った。皮肉なことに、引退を決めたあとに受けた治療で、足の甲の痛みが消えたからだ。
それならば。チーム内には「阿部さんにさらなる引退の花道を」との機運が高まっていた。リーグ戦は終わったが、まだ天皇杯で勝ち残っていたからだ。
1週間後の12月12日。浦和は準決勝で、セレッソ大阪に2-0で勝った。阿部と長年苦楽をともにしてきた宇賀神友弥が、前半29分に決勝弾を決めた。これで、阿部さんを決勝のピッチに立たせられる。
あとは勝って、天皇杯を掲げてもらえれば。
リカルド監督から「ある要望」を受けていた
決勝まであと2日と迫った12月17日。
天皇杯決勝・大分トリニータ戦のベンチ入りメンバーが発表された。阿部の名前はリストになかった。
タイトルのかかった大事な一戦。なんらかの予断が差し挟まれてはいけない。それは誰もがわかっていた。仕方のないことだと、わかってはいた。
周囲がそんな複雑な心境にあったその裏で、阿部はベンチ外の通告だけでなく、ある「依頼」を首脳陣から受けていた。
現役の選手として、最後のミッション。そして前年も、前々年も引退の道を選ばず、阿部が追い求め続けてきた「夢」につながるミッションでもあった。