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《岩出監督と帝京ラグビー》脱・体育会、医療との連携…26年間で築いた10度の大学日本一と「人を残す」組織カルチャー

posted2022/01/14 11:01

 
《岩出監督と帝京ラグビー》脱・体育会、医療との連携…26年間で築いた10度の大学日本一と「人を残す」組織カルチャー<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

退任を発表した帝京大ラグビー部・岩出雅之監督。最後の選手権で、大学日本一に返り咲いた

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野村周平(朝日新聞スポーツ部)

野村周平(朝日新聞スポーツ部)Shuhei Nomura

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Kiichi Matsumoto

 帝京大学ラグビー部を屈指の強豪に育てた岩出雅之監督が退任を表明した。

 4年ぶり10度目の優勝を果たした全国大学選手権決勝後の記者会見で、「帝京大学の監督はこの試合をもって引退させて頂く」と自ら切り出した。引き際を熟慮した上での決断だった。

 昨秋、東大と明治学院大の一戦を観戦していた岩出監督と久々に会い、ゆっくり話す機会に恵まれた。連覇の途中からたびたび、自らの後任について話すことがあったので、チームの今後について尋ねてみた。すると「もう後継者は決まっている。10月から相馬に来てもらう」とスッキリとした表情で話した。

 岩出監督は交代の時期こそ明言していなかったが、この時にはもう今回のような幸せな結末を思い描いていたかもしれない。すでにOBで元日本代表の相馬朋和氏を埼玉パナソニックワイルドナイツから呼び、自らの後任として正式にチームのコーチに加わってもらう手はずを整え終えていた。

「ラグビーコーチ」ではなく「教育者」

 岩出監督は1980年に日体大を卒業。故郷和歌山の近県である滋賀県に教員として採用された当初は、県教委の外郭団体で施設管理をしたり、ラグビー部がない高校に赴任してバスケットボール部の監督をしたりと不本意な遠回りを余儀なくされた。

 八幡工業高で念願かなってラグビー部監督になり、同校を花園の常連に導いた。高校日本代表のコーチや監督も歴任。96年から四半世紀にわたり帝京大を率いることになるが、岩出監督の基盤となったのはこうした教員としての経験と心構えだったと思う。ラグビーコーチというより「教育者」としての側面を大切にする指導者だった。

 だからだろう。大学でスポーツ心理学の講義を持つ63歳の監督への取材は、いつも禅問答のようになることが多かった。

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