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「プロに行きたい」高2山田哲人の進路相談で恩師はなぜ躊躇した? 一番嬉しい成長は “リーダーシップ”「こうなったら、いつか監督に」
posted2021/12/08 11:04
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by
Nanae Suzuki
今夏の甲子園の取材を終え、阪神甲子園駅のホームにたどり着くと、テレビ解説帰りの履正社・岡田龍生監督に偶然に会ったことがあった。その後、帰りの電車にご一緒することになり、東京五輪の話になると岡田監督が嬉しそうに自身の携帯電話の画面を私の方へ見せてくれた。
「これ、山田が送ってくれたんですよ」
画面には金メダルを首からかけ、穏やかに微笑む山田哲人の写真があった。岡田監督は普段から教え子の状況を気にかけ、事あるごとに連絡をして、動向を気にかけている。
「アマチュア野球の感覚でいつでも何でも送っている訳ではなく、状況は見ますよ。この写真も、金メダルってどんな感じなのかを聞いたら、この写真が送られてきて。山田は返事をくれるのは結構早い方だと思います。ただね……僕がどれだけ長い文章を送っても、だいたいは“ありがとうございます”、の短いひと言だけですけれどね」と、苦笑いを浮かべていた。
入学当時「身体能力はずば抜けていた」
プロの世界に飛び込んで、今年で11年目。今はセ・リーグを、いや球界を代表する強打者として君臨しているが、恩師の脳裏には履正社に入学したばかりの山田の姿は、今でも鮮明に残っている。
「当時から身体能力はずば抜けていました。体の力……具体的に言うと、瞬発力、体のバネがもう(周囲と)違っていましたね。1年の夏から試合で起用していましたが、野球勘はそこまで鋭くはなかったんですよ。それでも起用したいと思うのは、期待料も込みだったから。野球に対する気持ちの強さも能力の割にはそこまで高くない方でしたね」
今の山田哲人の姿を思うと、思わず「そうなんですか?」と返してしまいそうになったが、その理由をプロの世界に送り出した第一人者の教え子にたとえて、岡田監督はこう続けた。