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「プロに行きたい」高2山田哲人の進路相談で恩師はなぜ躊躇した? 一番嬉しい成長は “リーダーシップ”「こうなったら、いつか監督に」 

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沢井史

沢井史Fumi Sawai

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photograph byNanae Suzuki

posted2021/12/08 11:04

「プロに行きたい」高2山田哲人の進路相談で恩師はなぜ躊躇した? 一番嬉しい成長は “リーダーシップ”「こうなったら、いつか監督に」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

キャプテンとしてチームを日本一へ導いたヤクルト山田哲人。履正社高時代の恩師・岡田監督はそのリーダーシップに驚き、何よりも喜んでいる

 高校時代に計測した154キロという山田のスイングスピードの速さは、実は今でも履正社の歴代の打者の中で不動の1位の数字だ。それほどの能力があるだけに、今後どう成長していけるのかが人生を大きく変えると感じていた。

 そんな時、岡田監督はあることを考えついた。

「プロ野球選手が母校に戻って練習することが可能なので、Tが練習に来たら、その姿を山田が見てどう感じるのかと思ったんです」

 大先輩の動きだけでなく、時折くれたアドバイスひとつひとつが、山田のどこかに響いたのだろう。

「どんなことを言われたのかは分かりませんが、(2年生の冬以降は)練習に対する姿勢が徐々に変わっていったのではないかと思いますね」

 加えて、当時の大阪の高校野球は、2年生春夏の甲子園を経験し、プロから注目されていたPL学園の吉川大幾(元巨人)や勧野甲輝(元ソフトバンク)の一挙一動が関西圏のスポーツ紙を賑わせていた。特に吉川は当時、同じ遊撃手。「このままではダメだと思ったのもあったでしょうね」と岡田監督は振り返る。

 山田が3年生になると、履正社は春以降の公式戦では進撃を重ねた。春季大阪大会で優勝し、直後の近畿大会では準優勝。夏の大阪大会では4回戦でそのPLを破って、1997年以来2度目の夏の甲子園出場を決めたのだ。夏の甲子園では3回戦で聖光学院に敗れるも、エースの歳内宏明(元ヤクルトなど)からホームランを放つなど、片りんを見せた。春以降、能力の高さを十二分に見せつけ、NPB側からの評価は最後まで右肩上がりだったことが、1位評価にも繋がった。

輝かしい実績を評価も「巡り合わせ」に感謝

 ヤクルトに入団後は高卒1年目のクライマックスシリーズで1番・遊撃でスタメン出場を果たし、日本人右打者の最多安打記録(193安打)や、史上初の本塁打王と盗塁王の同時受賞、3度のトリプルスリー達成など、輝かしい功績を積み上げていく。不振などもあり思うような成績を残せないシーズンも何度かあったが、今年は東京五輪の金メダルやチームを20年ぶり6度目の日本一に導くなど、やはり“ヤクルトには山田あり”という言葉を強く印象づけた。

「(日本シリーズ第5戦の同点3ランは)ああいうところで打てるのが“持っている”という感じですよね。それに、塁に出たら必ず1球目で盗塁する。もう癖が分かっているのか、それとも別なのか。コツがあるようなことも聞きましたが、完全な感覚派だと思っていたのに、色々と考えているんやなと。さすがトリプルスリーを獲るだけあるなと思いました。

 ただね、山田がここまでやって来られたのは、巡り合わせの影響も大きいです。打撃がどうかな……という年に(14年)、杉村繁打撃コーチに出会って打撃が開花しましたし、日本代表でも出会ったコーチや指導者の方との縁がもたらしていることは多いです。それでも、ここまでタイトルが獲れる選手になるとは思いませんでした。盗塁王は分かりますが、本塁打王まではね。それは一番驚きましたよ」

【次ページ】 「主将・山田哲人」を後輩にこっそり取材

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