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《村田諒太が対戦》「スター選手すら指名戦を避ける」39歳“野獣”ゴロフキンの異次元すぎるキャリアとは?
text by
杉浦大介Daisuke Sugiura
photograph byGetty Images
posted2021/11/22 17:01
WBA同級スーパー王者の村田諒太(帝拳)が39歳の世界王者・ゴロフキンと統一戦を行うことが発表された
ゴロフキンがアメリカ進出したのはWBA王座を4度防衛してから。すでにボクシング放送から足を洗ったメガケーブル局HBOの“最後の功績”といえるのが2012年にゴロフキンを起用し、アメリカのファンに認知させたこと。だが以降もマッチメイクがスムーズだったとは言い難い。
驚異のパワーが神格化「カネロも対戦を避けた」
驚異のパワーはほとんど神格化され、全盛期は近年最大の“ブギーマン(恐れられて対戦相手を見つけるのが難しい選手)”と称された。セルヒオ・マルチネス(アルゼンチン)、ミゲール・コット(プエルトリコ)、フリオ・セサール・チャベス・ジュニア(メキシコ)といったミドル級のスター級からは露骨に対戦を避けられた。最近では語られることが少なくなったが、今をときめく4階級制覇王者サウル“カネロ”アルバレス(メキシコ)ですらも、’16年5月にアミール・カーン(英国)に勝ってWBC世界ミドル級王座を防衛した後、当時WBC暫定王者だったゴロフキンとの指名戦をあからさまに避けてすぐに王座返上したことがあった。
カネロ戦がようやく実現したのは、ゴロフキンが35歳になった’17年9月のこと。ついに辿り着いたメガファイト2戦では1敗1分に終わった。「実際にはゴロフキンの2勝だった」という声もあるほどの微妙な判定ではあっても、絶大な人気を誇るメキシカンとの2戦で勝ち星なしで終わったことは、その歴史的評価とレガシーに小さくない影響を及ぼしている感がある。
ゴロフキンが30代前半のピーク時にコット、チャベス 、そしてカネロといった人気選手たちと戦っていたらどうなっていたのか。それらのライバルたちをも軽々と蹴散らし、ミドル級の歴史でも最高級と目されるだけの力を持っていたのか。それともやや過大評価されていたのか。それらの答えを知る由もなく、全盛期のゴロフキンが本当はどれだけ強かったのかは、世界ボクシング界の永遠のミステリーとして記憶されていくことになるのだろう。
そういった残念な部分を考慮した上でも、それでもゴロフキンはやはり米リングでも途轍もないキャリアを過ごしたといっていいように思える。
日本人選手の世界タイトル戦として「最大級の大物」
会見時のブロークンイングリッシュによる少々ユーモラスな発言でも注目され、人気も抜群だった。フロイド・メイウェザー(アメリカ)、マニー・パッキャオ(フィリピン)、現代のカネロのようにPPV興行の顔役として成功できるレベルではなかったとしても、最盛期のゴロフキンはニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデン、ロサンジェルスのザ・フォーラムをどちらもソールドアウトにできる数少ないスーパースターだった。