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《日本全体だと比率1%》難関を突破して夢を叶えた女性パイロットは、“超多忙”なのになぜラグビーのレフリーを?
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph byJ-AIR
posted2021/11/11 06:01
パイロットという仕事をこなしながら、ラグビーのレフリーにも挑戦する神村英理さん。日本代表としても5キャップを持つ(写真提供/ジェイ・エア)
2016年7月、リオ五輪に向けて旅立つサクラセブンズ(7人制ラグビー女子日本代表)を、成田空港で送り出すセレモニーが行われた。そこで、中村知春キャプテンに花束と激励の寄せ書きフラッグを贈呈したのが神村さんだった。
「あのときは、JALの地上職員でした。総合職技術系として入社して、2年間、ツナギを着て整備の仕事をして、そのあとオフィス勤務を1年していた時期でした」
神村さんは早大1年のときに世田谷レディースでラグビーを始め、早大4年生だった2012年に日本代表入り。ハードタックルが武器のCTBとして、翌年は女子15人制W杯予選に出場。当時、アジア最強を誇っていたカザフスタンをアウェーで追い詰めたが23-25で敗れ、惜しくもW杯を逃した。
その日、成田から飛び立った日本選手団の鈴木彩香、山口真理恵、兼松由香、横尾千里、中村知春、竹内亜弥はそのW杯予選をともに戦った戦友であり、横尾と加藤慶子、冨田真紀子、谷口令子は経験ゼロで飛び込んだ世田谷レディースでラグビーの手ほどきをしてくれた先輩であり、それ以外の選手もみな、合宿や大会でいつも一緒になった仲間だった。
戦友たちがリオへ飛び立つのを見送りながら、神村さんの胸に燃え上がる思いがあった。仲間たちはラグビーで夢を追い続け、世界と戦う舞台へ飛び立った。
私は?
「パイロットにはずっと憧れていました」と神村さんは言う。
大空を飛びたい。それは子どもの頃からの夢だった。大学を卒業するときも、第一志望はパイロットだった。だが当時は日本航空が自社養成のパイロットの新卒募集を停止していて、受験できたのは全日空だけ。合宿と遠征の合間を縫って受験準備をしたが希望は叶わず不合格。それでも、少しでも空に近い仕事をしたいと思い、総合職のみ募集していた日本航空を受験し、難関を突破して就職した。
整備士として2年、オフィス職員として1年、飛行機の近くで働いた。整備士の仕事も面白い。このまま続けていくのもいいかな……サクラセブンズを見送ったのは、そう思いかけていた頃だった。そして、飛び立つ仲間を見送っていたら、チャレンジャーの気持ちと、空への憧れが強く蘇ってきた。私は空を飛びたい。パイロットになりたい。
資格取得、訓練を経て「副操縦士」に
思ったら行動は早かった。自社パイロット養成枠で採用してもらえないなら、自力で資格を取ればいいじゃない。
半年後の2017年3月、神村さんは、多くの人にとって憧れの職場である日本航空をすっぱり退社して、パイロット養成コースのある熊本の崇城大学に研究生として入学した。ジェット旅客機のパイロットになるにはいくつもの国家資格を取る必要がある。入学から半年後の2017年9月にまず自家用操縦士の資格を取得すると、以後事業用操縦士、陸上双発ピストン限定変更、計器飛行証明……まるまる2年をかけて5種類の資格を取得。
そして2019年、ジェイ・エアに訓練生として採用された。資格だけで営業路線を任されるわけではない。さらに1年間、長期間の訓練と厳しい社内審査を受け、あわせて航空無線通信士、航空身体検査一種という資格を取得し、2020年9月、晴れてジェイ・エアの「副操縦士」として任用された。パイロットの一員として、営業路線を飛ぶ生活が始まった。