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宝物は同学年の“田中将大と斎藤佑樹のサインボール”…「打倒マー君」や「帝京との死闘」の智弁和歌山主将は今、何を? 

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清水岳志

清水岳志Takeshi Shimizu

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photograph byKatsuhito Furumiya

posted2021/08/27 11:03

宝物は同学年の“田中将大と斎藤佑樹のサインボール”…「打倒マー君」や「帝京との死闘」の智弁和歌山主将は今、何を?<Number Web> photograph by Katsuhito Furumiya

卒業後も智弁和歌山に携わった古宮克人。打倒・田中将大に燃えた当時のキャプテンは今、何をしているのだろうか

マシン設定は160kmの直球と140kmのスライダー

「先生が帰ってきた瞬間から、マシンの設定が160kmのストレートと140kmのスライダーになりました。毎年、高嶋先生は一番、いいピッチャーに合わして練習するんです」

 3年のセンバツ前の前評判は智弁和歌山史上最強世代と言われていた。駒大苫小牧は不祥事で辞退。優勝候補は智弁か横浜と言われた。

 1回戦、伊万里商に勝って、2回戦は岐阜城北。打線は7点をとったが左腕の尾藤竜一(元巨人育成)に押し切られた。優勝は結局、横浜だった。

 この頃、古宮はキャプテンとして悩んだ時期だという。

「センバツ前の冬の練習が、ほんまに日本一になるぞという内容ができていなかった。監督が居てない時の練習の姿勢に不満があった。チームメイトに言うんですが、僕の実力不足で聞いてくれない。どうしたらええねんという葛藤でした」

 センバツは案の定、気持ちの入っていない選手のエラーが絡んで負けた。この負けで変わってくれればと期待したが4、5月に変わってくれなかった。悩みもがく日々が続いたという。

 智弁のバッティング練習は5カ所にマシンがおかれ本数、時間の制限がなく打ち放題が続く。自身が納得したら球拾いをするのだが、見た目はダラダラした感じに見える。古宮はそんな雰囲気が好きではなく、キビキビしようと言う日もあった。

 ある日、副将の橋本良平(元阪神)が球拾いをしようと言ったが、ピリッとしない。橋本と別の3年生が一触即発になった。他の3年生も入り乱れる事態。慌てて部長が3年生を集めた。

「忘れもしない、サードの横のファールゾーンで。僕らの代11人で車座になって。僕が『このチームで全国優勝をしたいんや』と泣きながらみんなに言いました。橋本もチームのことを考えてた。自分だけじゃなかったんやと」

大嶺を打ち崩し、伝説となった帝京戦へ

 地獄の智弁和歌山の6月練習の前、これが転機になった。こうなれば怖いものはない。「負ける気はしなかった」という。

 和歌山大会、甲子園でも1、2回戦を難なく勝ち進む。3回戦は八重山商工。大嶺祐太(現千葉ロッテ)らから廣井亮介が2ホームランを打つなど攻略する。

 そして準々決勝は壮絶なあの帝京戦だ。

【次ページ】 「逆転して決着をつけるのは自分の打席だな」

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