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高2夏に5連投、近鉄では174球完投…ユウキが“高校野球を変えたい”と現場で訴えるワケ「僕は身体ができる前に壊れてしまった」
posted2021/08/27 11:02
text by
高木遊Yu Takagi
photograph by
Yu Takagi
誰もが憧れるプロ野球の世界で、苦楽を経験したからこそ伝えたいことがある。
1997年のドラフト会議で近鉄から5位指名を受け、投手として活躍した田中祐貴さん(42歳/近鉄、オリックス、ヤクルト時代の登録名はユウキ)は、現在、岐阜県・帝京大可児高校で投手コーチとして指導を行っている。より良い指導、そして高校野球のあるべき姿は何か、それを模索する毎日だ。
「最初の頃と考えは変わってきました。芯は変わってないけど枝葉は変わってきた感じです」
2016年4月から高校野球の指導を始めて、そう感じられるのは、自身の現役時代とは環境が大きく異なるからだという。
「僕らの現役の頃は“練習中に水を飲むな”に代表されるように監督の指導、先輩との上下関係、練習、どれも厳しいものばかりでした。でも、今は間違いなくそれじゃダメなんですよ。厳しさや鍛え抜くことが大事な時は今もありますけど、それと隣合わせにあるのは怪我なんです」
174球完投に「ダイジョウブ?」
自身は長い期間、怪我に苦しめられた。因果関係は確かではないが、高校野球でも、プロの世界でも、今では考えられないほど投げた。杜若高校2年夏の愛知大会では5連投を経験した。近鉄時代には174球完投勝利もあった(試合の翌日、ロッテのブライアン・ウォーレンから『クレイジー! ダイジョウブ?』と声をかけられたという)。
「今なら体の仕組みとか肩甲骨の可動域が大事とか分かったでしょうけど、当時は知りませんでした。小さいころからずっと投手でしたし、ずっと知識不足で投球過多だったのは間違いないです」
プロ2年目の1999年に一軍デビューを果たしてプロ初勝利を挙げるなど、華々しい活躍を見せたが、右肩の故障との闘いは2010年にヤクルトで引退するまで続いた。