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「1年延期になっていなかったら出られなかった」全5試合で“最後のマウンド”を守った栗林良吏の「圧倒的な支配力」<侍ジャパン優勝>
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鷲田康Yasushi Washida
photograph byJIJI PRESS
posted2021/08/08 11:10

優勝を決め、キャッチャーの甲斐はマウンドに駆け寄り守護神・栗林を抱き上げた
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「ああいうマウンドにいられるっていうのが9回を投げるピッチャーのやりがいでもあると思う。最後に自分がそれを味わわせてもらえたのは本当に嬉しい。抑えに指名されて、やってやるぞという気持ちはあったので、最後まで9回を任せてもらってよかったなと思いました」
日本球界とっては文字通り悲願の金メダルだ。
長嶋茂雄監督が大会直前に脳梗塞で倒れた2004年のアテネ大会。星野仙一監督が率いた北京大会。オールプロでのドリームチームで臨んだ五輪はいずれも金メダルを逃して終わった。
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それからロンドン、リオデジャネイロの2大会では競技種目から外れ、13年ぶりに正式競技として行われた東京大会での優勝だ。
「勝ち切れて最高の気分です」
優勝会見でこう胸を張ったのは稲葉監督だった。
菊池が稲葉監督にかけた金メダルの重み
監督、コーチにはメダルの授与はないが、記念撮影では菊池が自分のメダルを首からかけてくれて、金メダルの重みだけは味わうことができた。
「非常に素晴らしい色をしていましたし、重量感があって、改めて金メダルが取れたんだなと選手には感謝の気持ちしかありませんでした。本当に金メダルが取れて良かった」
嬉しいけど、何よりホッとした。
それが五輪の重圧を抜けてきた正直な思いである。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。
