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萩原智子が振り返る東京五輪…大橋2冠、本多への“絶叫エール”「五輪は速さだけでなく“強さ”が必要です」

posted2021/08/08 11:01

 
萩原智子が振り返る東京五輪…大橋2冠、本多への“絶叫エール”「五輪は速さだけでなく“強さ”が必要です」<Number Web> photograph by Asami Enomoto/JMPA

東京五輪に出場した日本競泳陣の集合写真

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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Asami Enomoto/JMPA

 初めて五輪を目指したのは1996年のアトランタだった。16歳の萩原智子は出場をかけた選考会で3位に甘んじ、五輪出場の夢は叶わなかった。

 それから4年、周囲を驚かせるほどの成長を遂げた萩原は、200m背泳ぎのメダル候補として2000年シドニー五輪に初出場。結果は4位だった。

「アテネも出られず引退して、北京は現地で観戦しました。開会式を見ていたらたまたま隣に外国の老夫婦がいて『毎回オリンピックのためにお金を貯めて旅行するのが楽しみだ』と嬉しそうで。それまでは選手として目指すだけだったけど、離れて見た初めての大会で、オリンピックって素敵だな、と思いましたね」

 もう一度選手としてあの舞台に、と競技復帰を決意。ロンドン五輪には届かず、現役を引退したが、その後はさまざまなメディアでスポーツの魅力を伝え、16年リオ五輪も日本からその熱を伝えた。そして、今回、東京五輪で初めて競技の解説者を任された。

 女性で五輪競泳の解説を務めるのは史上初。そんな期待に応えるべく、万全の準備をして臨んだ。その姿勢は現役時代を彷彿とさせるほど、ストイックだ。

「どれだけベストを尽くしても100点満点はない。夢だった“放送界日本代表”として、いろいろなご意見も受け止めながら、全力でレース解説できてよかったな、と思います」

 思わず熱が入った、あのレースや競泳界のこれから。ハギトモが東京五輪を振り返る。

◇◇◇

――今大会の競泳は、メダル獲得は3つ。前回大会などと比べると厳しい結果となりました。要因の1つに「午前決勝」があるとも言われています。実際にその影響は感じましたか?

 私自身は経験がなく、(午前決勝を)初めて見たのは北京五輪。当時の経験者は入江陵介選手のみでしたが、ミーティングなどで経験を共有してきました。ただ、午前決勝だけでなく、実は夜の予選が20時を過ぎる種目もあり、ダウンやケア、食事をしていると就寝時間も遅くなってしまいます。リカバリーを考慮して、予選は慎重になりすぎたかもしれません。しかし海外勢は、午後予選の体が動く時間をチャンスととらえ、自己ベストタイムを更新してくる選手が多く、勢いがありました。

 特に瀬戸大也選手や松元克央選手は決勝で勝つことを見据えていたので、予選は余裕を持って泳ぎたかった。それも戦い方の1つではありますが、今回は多くの種目でリオ五輪の準決勝・決勝ラインよりレベルが上がっていました。

 象徴的なのが瀬戸選手の400m個人メドレーです。ここは絶対に外せないという期待が強い種目で、瀬戸選手本人も「絶対にメダルを獲る」と言い続けてきた。それが予選敗退というまさかの結果になったことは衝撃で、チーム全体にも動揺が広がりました。コロナ禍で海外遠征ができなかったのも大きかったですね。

【次ページ】 海外遠征ができない影響とは?

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