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なぜ青学“伝説のマネージャー”は神野大地と五輪を目指した?「箱根のような経験をマラソンでもさせてあげたい」
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byYuki Suenaga
posted2021/07/06 11:01
青学大の箱根連覇“影の立役者”高木聖也さん。現在は、大学の後輩でプロランナーの神野大地をサポートしている
「上司は、『1週間考えてみろ。それでも辞めたいんだったらそれでいいから』と言ってくれましたね。親にもやめることを伝えたんですが、最初は『どういうこと?』って感じでした(苦笑)。サポートするのはいいけど、どこかの企業に入ってやるのかとか、当然ですけど、かなり心配していました。でも、決心は揺らがなかったですね。正直、何も知らないから飛び出せた感はあります」
神野と同居、飛び込み営業をする日々で
会社を辞め、都内で神野と同居し、二人三脚で活動をスタートした。飛び込み営業をしたり、紹介してもらいながらメインスポンサー(所属先)を探した。かなりの数の面談ができたが、なかなか条件に見合う企業とは出会えない。そんな時、神野がプロ宣言したニュースを見て、ある人が直接メールで連絡をくれた。それが神野の現所属先であるセルソースの裙本理人社長だった。
「当時は東京五輪が2年後、選考会であるMGCは1年後に迫っている状況。安定して強化できる環境を作りたかった。そんな中で、セルソースさんとの出会いは本当に大きかったですね」
他にも、ニューバランスがスポンサーにつくなど、神野の支援体制はほぼ万全になった。
東京五輪か、アジアチャンピオンか
2019年9月、東京五輪の男子マラソン代表を懸けたMGCが開催された。神野も出場権を得て出場したが、結果は17位。優勝の中村匠吾、2位の服部勇馬が代表の内定選手に決まった。残されたチャンスは、翌年、ファイナルチャレンジとなる東京マラソンで、最後の一枠を懸けて走ることだった。
そんな時、日本陸連からアジアマラソン選手権に出場しないかという打診が入った。何もないシーズンなら喜んで高木さんも背中を押しただろう。だが、ラストチャンスの東京マラソンまで時間は限られており、狙っているのはその大会ではない。あくまでも目標は、東京五輪だった。
「MGCが厳しい結果に終わった後、まだ若いんだから1歩ずつステップを上がっていく方がいいという意見と、プロなんだからファイナルチャレンジで日本記録を目指すべきだという意見があって、僕らも悩んでいたんです。そんな時にアジアマラソン選手権の話がきて、それまで日本代表の経験がなかった神野は『行きたい』と。でも、僕はそこに出るなら五輪は追えないと思ったんです。
神野と一緒にやっていくなかでマラソンの難しさを実感していましたし、世界のトップランナーのケニア人選手でさえ、マラソン1本のために4、5カ月かけて調整しているんです。アジアのチャンピオンは魅力的だけど、現実的には東京五輪と両方は追えない。神野にもそう伝えました」