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なぜ青学“伝説のマネージャー”は神野大地と五輪を目指した?「箱根のような経験をマラソンでもさせてあげたい」 

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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photograph byYuki Suenaga

posted2021/07/06 11:01

なぜ青学“伝説のマネージャー”は神野大地と五輪を目指した?「箱根のような経験をマラソンでもさせてあげたい」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

青学大の箱根連覇“影の立役者”高木聖也さん。現在は、大学の後輩でプロランナーの神野大地をサポートしている

 最終的に神野は、アジアマラソン選手権の出場を決める。高木さんは、その答えを複雑な気持ちで聞いた。

「僕らの中では、アジアマラソン選手権に出ると決めたタイミングで東京五輪はないなって」

 こうして悩んで出場を決めたアジアマラソン選手権で、神野は優勝を果たした。

「神野の結果に対して責任を負う覚悟が足りなかった」

 東京五輪出場のラストチャンスだった東京マラソンは、大迫傑が日本記録を更新する激走で残り1枠だった代表の椅子を射止める。神野は2時間12分11秒の39位に終わった。目標にしていた東京五輪の夢は指の隙間からこぼれ落ち、目標としていた8分台からも遠いタイムだった。

「ここが僕と神野の関係性においてポイントになりました。それまで2年間一緒にやってきて、結果を出すためには今の体制を変えないといけない。2人で立ち上げた会社で社員も雇った時期でしたし、現場以外のことでも忙しくなっていて、僕自身が中途半端になっていると思ったんです」

 高木さんは、マネジメントとともにコーチ業を引き受け、それをつづけていくなかで、ずっと心に引っかかっていることがあった。

「コーチ業をやる上で、僕はマラソンで成績を残していない、コーチ業も学んだことがない中、自分へのコンプレックスがあって、自信を持てなかった。正しいと思えば例え選手が反対してもやらせるべき時もあると思うんですけど、僕はそこまでできなかったんです。コーチとして神野の結果に対して責任を負う覚悟が足りなかったんだと思います」

 経験やタイムがないところを知識で埋め、他指導者や選手からの知見を聞いて引き出しを増やしたが、どうしても学びだけでは足りないものがあった。陸上にはタイムを出した者がモノを言える空気、そのタイムを経験した者にしか分からない世界があるのだ。

「過去最高の仕上がり」で挑んだ福岡国際マラソン

 2020年、藤原新コーチに神野を任せ、高木さんは練習に同行することはなくなった。ただコーチとは頻繁にミーティングを行い、現状を把握することに努めた。藤原の元で合宿と練習を繰り返すなかで神野は調子を上げ、12月の福岡国際マラソンは「過去最高の仕上がり」と自信を持ってレースに臨んだ。

【次ページ】 「神野とやってきた3年間は早かったですね」

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