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ついに坊主撤廃・スマホ解禁…それでも名門・国見が継承する伝統とは 【大久保嘉人は何と言った?】
posted2021/04/15 11:03
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
脈々と引き継がれた伝統を変えることは、なかなか難しいことだ。
今年、ある変革を行った指導者が高校サッカーにいた。国見高校サッカー部を率いる木藤健太監督だ。
言わずもがな、国見が高校サッカー界に残してきた実績は改めて説明する必要もないだろう。選手権優勝6回(戦後最多タイ)、インターハイ優勝5回を誇り、これまで多くのJリーガー、日本代表選手を輩出してきた。
そんな名門・国見のイメージの象徴の1つといえば「坊主頭」だろう。黄と青の縦縞を背負った選手たちの姿は、その強さも相まって威圧さえも感じさせてきた。しかし、同校OBでもある木藤監督は就任3年目にして、1967年の創部から続いてきたこの「伝統」を廃止した。さらに2年前から禁止してきた携帯電話の使用も認めたのだ。理由はこうだ。
「全国大会からも長く遠ざかっている状態であるにも関わらず、伝統ばかりを守っているような気がして、『強豪』という変なプライドだけが残っているように映ったんです」
「何が必要かという視点は常に持っていました」
木藤は島原半島で生まれ育ち、地元・国見高に進学。現役当時はレギュラーとして活躍し、1学年下にはあの大久保嘉人がいた。近畿大学を経て、当時J2だったアビスパ福岡に加入すると、モンテディオ山形を経由して計6年間のJリーガーとして過ごした。2010年からは地元の三菱重工長崎サッカー部でプレーし、12年に現役を引退。翌年、長崎県の公立学校教員試験を受け、17年にコーチとして母校に帰ってきた。
「昔から自分にとって何が必要かという視点は常に持っていました。高校時代も『言われたことを全部やっていていいのか?』とずっと考えていましたね。丸刈りに関しては、当時から意義を見出せていませんでしたし、『坊主だから強い』と思ったことは一度もない。小嶺(忠敏)先生が植え付けてくれた基礎技術とハードワークを大切にしたサッカーと、『相手に必ず勝つ』というメンタリティーがあったからこそ、強い国見があると思っていました」
時に、小嶺監督とは意見の食い違いで言い合ったこともあるほど、当時から自ら考えることを習慣としていた木藤は、高校を卒業してからも「国見の伝統」に疑問を抱いていたという。そして、指導者として母校に赴任すると、全国大会から遠ざかっている状況を目の当たりにした。