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初の日本ダービーから2年で取り壊し…東京の“消えた競馬場” 目黒のド真ん中にあった「目黒競馬場」今は何がある? 

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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photograph byMainichi/AFLO

posted2021/02/09 11:01

初の日本ダービーから2年で取り壊し…東京の“消えた競馬場” 目黒のド真ん中にあった「目黒競馬場」今は何がある?<Number Web> photograph by Mainichi/AFLO

大正時代(1913年)の目黒競馬場。コイワイという馬が1着になったレース

 説明書きもあったので読んでみると、1932年に行われた第1回東京優駿(日本ダービー)の勝ち馬・ワカタカを筆頭に、トクマサ・ヒサトモ・クモハタ・イエリュウ・クリフジと実に6頭ものダービー馬を輩出した大種牡馬だという。 

 今の時代の種牡馬といえば、圧倒的にディープインパクトである。2020年までにディープブリランテ・キズナ・マカヒキ・ワグネリアン・ロジャーバローズ・コントレイルとこちらも6頭のダービー馬を出している。トウルヌソルは、ディープインパクトと並び立つ伝説の種牡馬、というわけだ。そしてトウルヌソル産駒のワカタカが勝った記念すべき1回目のダービーは目黒競馬場で行われている。つまり、目黒の地に競馬場があったことを後世に伝えるために、第1回ダービー馬を輩出した名種牡馬の像を設置したというわけだ。

 普通ならば、種牡馬ではなく当のダービー馬を像にしてしまいそうなところだが、それをあえて種牡馬にしたあたりはなかなか競馬への造詣が深い人が関わっていたのだろうか。ちなみに、トウルヌソルはもともとイギリスで活躍した馬で、1927年に約10万円で日本に買われてやってきた。今の価値に直すと約10億円。当時にしたらとんでもない高額馬の輸入だった(なおディープインパクトの父・サンデーサイレンスは約16億5000万円……)。そのトウルヌソル、日本では千葉県の宮内庁下総御料牧場(現在は成田空港)で繁用されている。

不自然なカーブの路地、その正体は?

 元競馬場前のバス停を降りたばかりというのに、すっかりタイムスリップ、古の名種牡馬について学んでしまった。では、このトウルヌソル像と「元競馬場前」というバス停名以外に目黒に競馬場があった痕跡はないのだろうか。古い地図を見ると、競馬場は目黒通りの南側に広がっていたようだ。そこで目黒通りから路地に入ってみた。一帯はほぼ100%純粋な住宅地だ。

 その住宅地の中に、いかにも不自然なカーブをしている路地があった。クルマが1台も通れるかどうかという細い路地だ。カーブの具合はなんだか人工的で、自然物、たとえば川のようなものとは明らかに違うのだ。

 鉄道ファンならばこうした人工的でゆるやかで、そしてクルマ1台分ほどという細いカーブを見るとまず廃線跡を疑ってしまう。鉄道は急なカーブは曲がれないし、線路の幅から逆算すれば単線ならば、ちょうどクルマ1台くらい。それにもちろん人工的に作ったものだから、妙に規則的なアールを描く……。

【次ページ】 そう、馬の走路のカーブだ

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