大正時代(1913年)の目黒競馬場。コイワイという馬が1着になったレース / photograph by Mainichi/AFLO 「元競馬場前」のバス停でおりた。さて競馬場の痕跡はあるのだろうか? 目黒通りの交差点も「元競馬場」だった こちらがトウルヌソルの像。6頭ものダービー馬を輩出した“伝説”の大種牡馬だという 不自然なカーブをしている路地。この写真の真ん中がその細い道である。進んでいくと…… 細い路地を進んでいく。カーブが“人工的”で規則的なアールを描いているのが分かるだろうか?(次の画像に続きます) 人工的なカーブの細い路地(まだ次の画像に続きます) この細い路地こそ目黒競馬場、馬の走路のカーブである(より正確には、競馬場の外周に沿って通っていた道路がそのまま残っているものとみられる) 1936年の航空写真。大きな幹線道路が目黒通り。そしてその下の大きな土地が目黒競馬場(の跡地)である。1934年に東京競馬場に移転となり、すでに家が建ち始めているのが分かる 出典:国土地理院の空中写真 1944年の航空写真。右下を見ると、住宅地の中にうっすらと競馬場のカーブが残っているが分かる。移転から10年でかなり開発が進んだ 出典:国土地理院の空中写真 こちらが最近の航空写真。筆者が歩いたのは赤いライン。競馬場の痕跡はこの人工的なカーブに残されているのだ 元競馬場通り。細い面影路地は途中で途切れていた 目黒競馬場現役時代からこの地にあった桜だという 元競馬南泉公園

こちらがトウルヌソルの像。6頭ものダービー馬を輩出した“伝説”の大種牡馬だという

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大正時代(1913年)の目黒競馬場。コイワイという馬が1着になったレース / photograph by Mainichi/AFLO 「元競馬場前」のバス停でおりた。さて競馬場の痕跡はあるのだろうか? 目黒通りの交差点も「元競馬場」だった こちらがトウルヌソルの像。6頭ものダービー馬を輩出した“伝説”の大種牡馬だという 不自然なカーブをしている路地。この写真の真ん中がその細い道である。進んでいくと…… 細い路地を進んでいく。カーブが“人工的”で規則的なアールを描いているのが分かるだろうか?(次の画像に続きます) 人工的なカーブの細い路地(まだ次の画像に続きます) この細い路地こそ目黒競馬場、馬の走路のカーブである(より正確には、競馬場の外周に沿って通っていた道路がそのまま残っているものとみられる) 1936年の航空写真。大きな幹線道路が目黒通り。そしてその下の大きな土地が目黒競馬場(の跡地)である。1934年に東京競馬場に移転となり、すでに家が建ち始めているのが分かる 出典:国土地理院の空中写真 1944年の航空写真。右下を見ると、住宅地の中にうっすらと競馬場のカーブが残っているが分かる。移転から10年でかなり開発が進んだ 出典:国土地理院の空中写真 こちらが最近の航空写真。筆者が歩いたのは赤いライン。競馬場の痕跡はこの人工的なカーブに残されているのだ 元競馬場通り。細い面影路地は途中で途切れていた 目黒競馬場現役時代からこの地にあった桜だという 元競馬南泉公園

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