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初の日本ダービーから2年で取り壊し…東京の“消えた競馬場” 目黒のド真ん中にあった「目黒競馬場」今は何がある?
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byMainichi/AFLO
posted2021/02/09 11:01
大正時代(1913年)の目黒競馬場。コイワイという馬が1着になったレース
そう、馬の走路のカーブだ
ただ、いくら歴史を紐解いても目黒のこの場所に鉄道が通っていた事実は確かめられない。となると、もう答えはひとつである。そう、目黒競馬場の馬の走路のカーブだ。より深く推測してみると、馬が走る走路がこんなに狭い訳はないので、むしろ競馬場の外周に沿って通っていた道路がそのまま今に残っている、といったほうが正確なのではないかと思う。
目黒競馬場の面影を残すカーブの路地を歩いてみる。両脇には一戸建ての住宅がほとんど隙間なく建っている。東京競馬場の外周を歩いたことは何度もあって、あちらは馬の匂いが漂っていてなんとも嬉しくなるのだが、住宅地の中の“元競馬場”にはもちろん馬の匂いはまったくない。むしろ、どこかの家が夕食に作っているのだろう、何かシチューのようないい香りが流れてくる。
気分はダービー馬
目黒競馬場の資料を見ると、競馬場は1周1マイル(1600m)でレースは右回りで行われていたようだ。現在の東京競馬場は1周約2100mで左回りだから規模もレース形態もまったく違っていたのである。目黒競馬場でダービーが行われたのは第1回と第2回の2度だけだから、その2回のダービーはのちのダービーとは単純に比べることはできない、というわけだ(比べてどうするという話でもあるが)。
また、競馬場のスタンドは目黒通りに面していた。つまるところゴール前の直線は目黒通りに近かった。となると、住宅地の中の面影路地は第1・2コーナー。たどって歩いていくとあるところでカーブは終わり、細さはそのままにまっすぐの直線になる。緩やかなカーブだからどこに向かっているのかがわかりにくいのだが、気がつけば半周して向こう正面の直線に出たのだろう。そのままダービー馬の気分になってしばらく進む。
なぜ目黒競馬場は30年ももたずに“消えた”のか
すると、少し開けた大きな通りと交差した。その通りの名は「元競馬場通り」。バス通りにもなっているようで、バス停でバスを待つ地元の人の姿が何人か。面影路地と元競馬場通りの交差点の角には小さな公園があって、(今は咲いていないけれど)桜の老木が大事に保存されている。説明書きによると、目黒競馬場現役時代からこの地にあった桜で、1997年の台風で倒れてしまったが復旧してケアを続けているという。