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東大現役合格→原子力エンジニアの父が語る糸谷哲郎八段 「1、2歳で“頭の出来が違う”と」【父子の母校秘話も】
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byKyodo News
posted2021/02/06 06:00
糸谷哲郎八段は挑戦者として渡辺明棋王に挑む
――糸谷は、大学受験はどうやって準備したの?
「学院までの通学時間が長いから、その時間も使って勉強していたな」
――結構、地道に勉強していたんだ、少し安心した(笑)。でも学院では「常に紳士たれ」と言われて、乗り物で席が空いていても座ってはいけないことになっていた。帰り道、糸谷は疲れていても立って勉強していたの?
「そう。電車の同じ車両に乗っていた先生から叱られた奴がいたからな」
――そうなんだ。やっぱり真面目だったんだな。
「宮島線の上りの電車に乗ると、市の中心街へ向かう。でも、下りは繁華街とかなくて、いつも学校と家の往復だった。先生から『お前、西広島で女の子と一緒に歩いとったじゃろう』などと注意された奴がいた。僕はそんなことは一度もなかったから、そいつが羨ましかったな(笑)」
糸谷八段も「勉強は要領です」と言っていたが
――大学受験というと後悔することがある。当時は「四当五落」(睡眠時間が4時間以下になるくらい勉強したら合格するが、5時間以上寝るようなら受験に失敗する)っていう言葉があったじゃない。僕はまともに受け取って、ひたすら勉強したらいいと、効率を重んじる発想が欠落していた。糸谷は「四当五落」を信じてた?
「いや、そうでもなかった」
――さすがだな。糸谷八段も「勉強は要領です」と言っている。大学に入ろうと思ったら、将来役に立つかどうかわからないことを勉強しないといけない。であれば、効率良く勉強して結果を出す方法を見つけるのも、頭の良さなんだよな。で、君は現役で東大に合格し、大学院にも進んだ。院に行ったのはどうして?
「単純に、もっと勉強したかったから。文系だと院へ行ったら就職に有利になるどころか不利になる場合もあるけど、理系なら不利益にはならないしね」
――なるほど。で、院を出てから広島へ戻って中国電力に入社したわけだ。結婚したのはいつ?
「1983年、僕が27歳のとき。妻とは、学生時代に東京で知り合った」
――奥さんの実家は鎌倉で、父親がマルクス経済学が専門の大学教授で、哲学にも造詣が深かったと聞いたけど……。
「そうだね」
――そして、1988年に哲郎君が生まれたわけだ。どうしてこの名前を選んだの?
「哲学の哲を取った。夫婦で決めた。哲郎が1、2歳の頃、『この子は自分とは頭の出来が違う』と思ったな」
――ええっ? 東大大学院を出た原子力エンジニアの君が、赤ん坊に「この子には負ける」って思ったの?
「そうなんだよ……」
(第2回に続く。関連記事からもご覧になれます)