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東大現役合格→原子力エンジニアの父が語る糸谷哲郎八段 「1、2歳で“頭の出来が違う”と」【父子の母校秘話も】
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byKyodo News
posted2021/02/06 06:00
糸谷哲郎八段は挑戦者として渡辺明棋王に挑む
また棋士としての本業の傍ら、日本将棋連盟棋士会副会長として将棋の普及にも務めている。その内容がユーモラスで、DJをやったりスイーツや食べ物のレポートをしたりとサービス精神も旺盛。「ダニー」の愛称でファンから親しまれている。
なんと父と筆者は同窓生で、サッカー部のチームメイト
実は、糸谷八段の父・康宏氏も広島学院出身。ブラジル・サンパウロ在住の筆者は氏の同窓生。中学、高校のサッカー部でもチームメイトだった。
広島学院は、康宏氏と私を含む1974年度の卒業生から東大へ23人、京大へ13人、阪大へ10人、医学部・医科大へ29人、糸谷八段が卒業した2007年の卒業生から東大へ17人、京大へ14人、阪大へ11人、医学部・医科大へ17人進学している(浪人後の合格を含む)。ありていに言えば、中国地方有数の進学校ということになる。
当時の康宏氏は極めて優秀で、広島学院での成績は常にトップクラス。現役で東大工学部に合格して機械工学を専攻し、東大大学院へ進んで修士課程を修了。中国電力(本社広島)で原子力関係のエンジニアとして働き、関連会社を経て2年前に定年退職している。
大学受験シーズンの今、父親を含めた糸谷一家の基本的な教育方針や広島学院時代の話、糸谷八段がいかにして小学校から大学院まで学業と将棋を両立させたか、そして八段の人となりなどについて康宏氏からじっくり話を聞いた(以下、広島学院のことを「学院」、康宏氏のことを「糸谷」と記す)。
糸谷家は代々、宮島で商売をしていた
――学院時代、糸谷は日本三景の宮島に住んでいたんだよね?
「そう。代々、宮島で商売をしていて、両親の代では商店と自営業をやっていた」
――どうして学院に入ったの?
「父親が教育熱心だったんだ。広島の進学校というと他に修道と広島大学附属があったけど、家から一番近いのが学院だった」
――なるほど。うちは母親が熱心なクリスチャンだったから、カトリック系の進学校ということで入れたんだと思う。ミッション・スクールでありながら、“海軍タイプ”と呼ばれる紺の詰襟(ボタンなし)の制服。僕らが入学した頃は、バッグを持つことを禁じられ、紺の風呂敷に勉強道具と弁当を包み、脇に抱えて通学していた(※その後バッグを持てるようになり風呂敷は廃止)。僕は、おふくろに「あの制服、カッコいいじゃない」と言われて、その気にさせられたんだ(笑)。糸谷は、あの制服、気に入ってた?
「ああ、僕は好きだったよ」