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赤ん坊なのに「大人言葉」、毎日8冊超速読…父が明かす糸谷哲郎八段伝説【故・村山聖九段との指導対局も】
posted2021/02/06 06:01
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Yasuhiro Itodani
糸谷哲郎八段の母方の祖父は、マルクス経済学が専門の大学教授で、哲学にも詳しかった。
父親は、東大工学部から大学院へ進んだエリートで、原子力エンジニア。その父親が、八段がまだ1、2歳の頃「この子は自分とは頭の出来が違う」と驚嘆したという話は第1回で紹介した。そこから糸谷八段はどのような教育法で成長していったのか(広島学院のことを「学院」、康宏氏のことを「糸谷」と記す)。
哲郎が何かに興味を示したら、手助けを
――どうしてそう思ったの?
「赤ん坊なのに、一切、赤ちゃん言葉を使わないんだ」
――それは、大人が話している言葉を聞いて理解して、大人言葉で返事をしていたということ?
「そう。姿形は小さな子供なんだけど、まるで大人と話しているような不思議な感覚だった。
哲郎がまだお腹にいるとき、妻は音楽を聞かせたり、絵本や本を読み聞かせ、話しかけていた。僕も、時間があればお腹に向かって絵本を読んでやった。ひょっとしたら、その効果があったのかもしれない。
哲郎が生まれたとき、僕は広島本社で勤務していた。でも、2歳のとき僕が東京へ転勤し、2年ほど一家で東京に住んだ。その頃、哲郎は相撲が好きになってね。ちょうど若貴時代で、大相撲が大人気だった。テレビで相撲を見て喜んでいたから、番付表を買ってきてやった。毎日、それを眺めていて、少しずつ漢字を覚え始めた。
それから、電車も好きになった。JR山手線などの路線図を見て『“新橋”と“新宿”には同じ字があるね」とか言って、さらに漢字を覚えた」
――それはすごいな。
「僕と妻は、『哲郎が何かに興味を示したら、それが何であれ、手助けをしてやろう』と話していた。
だから、東京に住んでいた頃は地下鉄博物館に連れて行ったり、本人が好きな電車、たとえば小田急電鉄のロマンスカーなどに乗せてやった。とても喜んでいたな。そんな感じで、何かに興味を持つとそれを徹底的に探求する子になっていった」
――幼い頃から本を読んでいたと聞いたけど、そのきっかけは?
「鎌倉の妻の実家に遊びに行くと、皆、大変な読書家で、家中、どこにでも本がある。それで、本を読むのは当たり前という感覚になったんだろう」
――将棋を始めたいきさつは?