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東大現役合格→原子力エンジニアの父が語る糸谷哲郎八段 「1、2歳で“頭の出来が違う”と」【父子の母校秘話も】
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byKyodo News
posted2021/02/06 06:00
糸谷哲郎八段は挑戦者として渡辺明棋王に挑む
――そうなんだ。で、君は宮島から本土へフェリーで渡り(約15分)、30分くらい広島電鉄の電車に乗って古江(学院の最寄り駅)で降り、かなり傾斜がある坂道を15分ほど登ったわけだから、通学に1時間程度かかったのかな。
「そう、朝はね。でも、帰りは電車とフェリーの乗り継ぎが悪くて待ち時間が長く、もっと時間がかかった」
――学院に入ったら、外国人の神父の教師が多くて驚いたよな。2メートル近い長身だったり、学生時代にアメフトをやっていたとかでプロレスラー顔負けの巨体だったり……。外国人教師でも日本語は良く勉強していて、難しい漢字を黒板にすらすら書いていた。でも習字はやらなかったようで、化学を教えていたアメリカ人のB先生の字なんてほとんど判読不能。訛りがひどくて、何を言ってるかほとんどわからない人もいた(笑)。
「そうだったなあ……でも、生徒の方が次第に慣れていったな」
――日本人でも、神父やクリスチャンの先生が多かった。特に印象に残るのが、倫理を教えていたO先生。第二次世界大戦末期、広島県内で人間魚雷「回天」の訓練を受けていてまもなく突撃、というときに戦争が終わった。それからクリスチャンになり、大学で神学を修めて神父になったという。
「そう。特攻隊の生き残りにしてカトリック神父にして倫理の先生(笑)。謹厳実直で、厳しい人だったね」
東大に行った秀才の“いたずら”
――中学に入学してすぐにわかったのは、とてつもなく頭がいい奴らがいて、僕が少々努力したって絶対に追いつけないということ。糸谷もその1人だったんだけど、君から見て「こいつにはかなわない」という奴はいたの?
「Uだね。物静かで寡黙で、彼が話すのは出席番号が次だったU田とだけじゃなかったかな」
――バルセロナの下部組織時代、口を開いたことがないことを訝しがられたメッシみたい(笑)。
「彼は全部の科目ができたけど、とりわけ数学がとてつもなくできた。先生が、『Uに100点満点を取らせないよう工夫してテストを準備したんだけど、あいつ、また100点取りやがった』と悔しがっていたからね」
――秀才グループの中で、僕が妙に気が合ったのがM。こいつも東大へ行ったけど、全科目が無茶苦茶にできた。運動神経も良くて、柔道二段だった。期末テスト前日の放課後、図書館へ行って勉強しようとしたら、Mが『ワシも一緒に行くで』と言うんだ。わからないことがあればこいつに聞けばいいと思って『いいよ』と答えた。
だけど、こちらが一生懸命勉強しているのに、奴は何もせず、僕の体をくすぐったりとか子供じみた邪魔をするんだ。頭にきたのと同時にやる気が失せて、このときの成績は散々だった。Mだって家では多少勉強していたと思うし、またそう思いたい。そうじゃなければ、こちらが救われないよ。
「ハハハ、そんなことがあったんだ」