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「兄貴はバカだから東大に行った」の真意とは 愛弟子・中村太地七段だからこそ知る“師匠・米長邦雄”【命日】
posted2020/12/18 11:04
text by
中村太地Taichi Nakamura
photograph by
Koji Kakuta/Takuya Sugiyama
私の師匠は将棋ファンだけでなく、世間でもよく知られている棋士の1人かと思いますが……「うちの兄貴たちはバカだから東大に行った。私は天才だから棋士になった」との発言があったとの逸話が、あまりにも有名ですよね(笑)。ただこれもまた、師匠が深いところで考えていた一つの象徴なのかなと思っています。
このことについては後ほど説明しますが、私が実際に感じた「米長邦雄永世棋聖」という人間性について、お話しできればと思います。
まずは師匠である米長永世棋聖と出会うきっかけから。
私が奨励会入りを決断したのが小学校6年生の春でしたが、両親が師匠の本をよく読んでいたんです。当時から師匠は『運を育てる 肝心なのは負けたあと』などの著書を出されていて、ファンというか影響や刺激を受けていたんですね。それで私もぜひ米長門下に入りたいと思い、弟子入り希望の旨をお伝えしたら「面接しますので、私の家に来てください」とお返事をいただきました。
「母親を見る」という流儀の根拠
第一印象は……オーラが凄かった、その一言です。師匠自身はスーツなどではなく、凄くリラックスされた服装だったのですが、小学生ながら生まれて初めて圧倒された記憶だけが残っています。
そしてその場でいきなり“師匠の流儀”を一つ味わいました。それは「母親を見る」ということです。師匠は「母親というのは子供と一番長い時間接している存在だから、母親がどういう人物か見ることで、子供がどのような人間か分かる」という持論の持ち主でした。ちなみに私は両親とともに面接に足を運んだんですが、父親はほとんど見ていなかったそうです(笑)。
弟子入りしたのちは月1回、師匠のご自宅に伺って将棋を見てもらう会がありました。奨励会で指した将棋を講評してもらうのですが「もっと思い切りよく指しなさい」、「私生活を見直してみなさい」、「今は将棋のことを考えすぎて思いつめちゃっている感じだ」と、少し俯瞰したようなアプローチでした。その指導自体も怒られたことはなく、それこそ私たち弟子に自分で考えさせるような言い方を敢えてしていた気がしています。
特に覚えているのは目先の利益にとらわれた指し手だったときに「君はまだ平社員の将棋になっている。社長のような考えで将棋を指しなさい」と言われたことです。