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ロッテ前身球団の“消えた野球場”…南千住にあった「東京スタジアム(味スタじゃない方)」今は何がある?
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph bySankei Shimbun
posted2021/01/23 17:04
1962年5月に開場した幻の東京スタジアム。カクテル光線も眩しく「光の球場」と呼ばれた
大映の経営状況も悪化しており、球団経営にも限界が見えてくる1969年にはロッテをスポンサーに迎えてチーム名をロッテ・オリオンズに改称。1970年にはリーグ優勝も飾ったが、大映の経営難はますます深刻になり永田雅一は1971年に球団経営から撤退。同年に大映は倒産してしまう。変わってスポンサーになっていたロッテが正真正銘の親会社となり、そのまま今に続いている。
そんな激動の中で、スタジアムの経営権はロッキード事件の「記憶にございません」でもおなじみの小佐野賢治に移る。1972年のシーズンまでは、小佐野がスタジアムをロッテに貸し出す形を取っていた。ただ、赤字が膨らむだけのスタジアム経営は小佐野の本意ではなかったのだろう。ロッテにスタジアムの買収を持ちかけるも、交渉は決裂。東京スタジアムの閉場、そしてロッテが本拠地を失うことが決まってしまった。
こうして東京・下町の光の球場はわずか11年で姿を消した。跡地は1977年になってから東京都が取得。ほったらかされていた球場も取り壊されて現在の荒川総合スポーツセンターなどに生まれ変わったのである。
と、南千住駅西側にあった幻のスタジアムには、明治以来の波乱万丈の歴史があった。スタジアム跡地の荒川総合スポーツセンターは1984年に完成してもう40年近い。周辺も昔ながらの下町感の中にタワーマンションも入り混じり、街の雰囲気も少しずつ変わっている。タワーマンションに暮らす人たちに巨大な野球場があったことを言っても、信じてもらえないだろう。榎本喜八だなんだといってもピンとこないに違いない。
なにしろ、明治初期からの千住製絨所と40年のスポーツセンター。東京スタジアムはその狭間にわずかに咲いた徒花だった。今のスポーツセンター時代が、この土地にとっては一番落ち着いているのかもしれない。東京スタジアム跡地、と言っても面影はまったくといっていいほど残っていない。ちなみに、荒川総合スポーツセンターでは、少年時代の北島康介が泳いでいたという。
なお、本拠地・東京スタジアムを失ったロッテは5年もの間固定本拠地を持たない“ノマド”球団となる。ノマド時代の1974年には、毎日オリオンズ時代の1950年以来24年ぶりの日本一に輝いた。その次にロッテが日本一になるのは、そう、2005年なのである。
(写真=鼠入昌史)