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数字で検証・巨人FA移籍で成功した打者はいるか? 小笠原道大でも活躍は“4年だけ”【梶谷隆幸は?】 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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photograph byShigeki Yamamoto/Hideki Sugiyama

posted2020/12/14 17:15

数字で検証・巨人FA移籍で成功した打者はいるか? 小笠原道大でも活躍は“4年だけ”【梶谷隆幸は?】<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto/Hideki Sugiyama

巨人FA選手で最も活躍した小笠原道大(左)。巨人加入が決まった梶谷隆幸はどのようなキャリアになるのか

 今年FA移籍して2年目の丸佳浩は、2年で276安打。今後の活躍次第では中軸打者として小笠原を抜く実績を残す可能性がある。しかし対照的に4年目の陽岱鋼は4年で221安打と期待を裏切っている。故障や怪我でFA移籍後に成績が急落するリスクもあるのだ。

一、三塁手を見るとわかる選手育成への弊害

 FA選手は「高い買い物」なだけでなく、選手の育成にも影響を与える。

 以下、FA制度が始まった1994年以降の巨人の正一塁手と正三塁手。いずれももっとも多くの試合でこのポジションを守った選手である。◎はFA移籍選手、●は巨人生え抜き。

1994年(一)◎落合博満 (三)●岡崎郁
1995年(一)◎落合博満 (三)ハウエル
1996年(一)◎落合博満 (三)●仁志敏久
1997年(一)◎清原和博 (三)●後藤孝志
1998年(一)◎清原和博 (三)●元木大介
1999年(一)◎清原和博 (三)●元木大介
2000年(一)マルティネス (三)◎江藤智
2001年(一)◎清原和博 (三)◎江藤智
2002年(一)◎江藤智 (三)元木大介
2003年(一)◎清原和博 (三)◎江藤智
2004年(一)ペタジーニ (三)小久保裕紀
2005年(一)ローズ (三)小久保裕紀
2006年(一)李承燁 (三)小久保裕紀
2007年(一)李承燁 (三)◎小笠原道大
2008年(一)◎小笠原道大 (三)古城茂幸
2009年(一)李承燁 (三)◎小笠原道大
2010年(一)●高橋由伸 (三)◎小笠原道大
2011年(一)◎小笠原道大 (三)古城茂幸
2012年(一)エドガー (三)◎村田修一
2013年(一)ロペス (三)◎村田修一
2014年(一)ロペス (三)◎村田修一
2015年(一)●阿部慎之助 (三)◎村田修一
2016年(一)●阿部慎之助 (三)◎村田修一
2017年(一)●阿部慎之助 (三)マギー
2018年(一)●岡本和真 (三)マギー
2019年(一)●岡本和真 (三)ビヤヌエバ
2020年(一)中島宏之 (三)●岡本和真

V9時代はONの独壇場だったが

 1959年から1974年まで、巨人は一塁王貞治、三塁長嶋茂雄という生え抜きの絶対的な中心選手を擁して16年で12回の優勝を飾ってきた。また巨人の正一塁手は1938年から1980年までの43年間で、川上哲治と王貞治の2人だけだった。

 その後は中畑清と原辰徳がそれぞれ一、三塁の主力だった。しかしFA制導入後は一塁、三塁はFA選手、移籍選手、外国人選手のポジションとなった。正選手が固定できないシーズンも多かった。

 今季、岡本和真は正三塁手として規定打席に到達したが、これは生え抜き選手としては1992年の岡崎郁以来28年ぶりのことだった。

FA選手は生え抜きの未来を奪いかねない

 一塁、三塁は中軸打者が就くポジションだ。生え抜きの若い選手が長く務めるのが望ましい。しかし超高額のFA選手を獲得すると、投資を回収するために優先的にポジションを与えることになる。

 FA選手を獲得することは、生え抜きの有望選手の“未来”を奪いかねないリスクをはらんでいるということだ。

 獲得が決まった梶谷隆幸は外野手だ。彼が入団することで、今年頭角を現した松原聖弥や重信慎之介など若手の出場機会を奪うことも考えられる。FA制度とはそういう問題をはらんでいるのだ。

投手編に続く。関連記事からもご覧になれます)

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