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憎きマラドーナを、本当は大好きだった… “不仲のち親友”ペレ&宿敵ブラジルが嘆く天才の早すぎる死
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byGetty Images
posted2020/11/26 17:35
1990年W杯イタリア大会での1枚。ペレとマラドーナ。サッカー界のレジェンドは心の奥底で、互いの実力を認めていたのだ
マラドーナが、自分が司会を務めるアルゼンチンのTV番組「ラ・ノーチェ・デル・ディエス」(背番号10の夜)の初回のゲストにペレを招いたのである。
2人は、各々の国の代表のユニフォームにメッセージを記して交換。さらに「これは私のかねてからの夢だった」というマラドーナからの呼びかけで、ヘディングによるパス交換を繰り返した。27回ボールを突き合った後、2人は固く抱き合い、スタジオを埋めたファンから喝采を浴びた。
ペレ64歳、マラドーナ44歳、2人は友人に
時にペレ64歳、マラドーナ44歳。以来、2人は20歳違いの友人となった。
今年の10月23日、ペレが80歳の誕生日を迎えると、マラドーナが「キング・ペレ、おめでとう」と祝福。それから7日後、マラドーナが60歳になると、今度はペレが「アミーゴよ、私はいつも君を応援している。いつまでも笑顔でいてくれ」という気持ちのこもったメッセージを返した。
2人の関係が修復されても忌み嫌う人が
ただし、2人の関係が修復されても、ブラジルでは「我々の最大の誇りであるペレを脅かす存在」としてマラドーナを忌み嫌う人が少なくなかった。
W杯やコパ・アメリカ(南米選手権)などの国際トーナメントでアルゼンチン人サポーターが代表チームを鼓舞するチャントを歌っていると、ブラジル人サポーターが「1000得点を達成したのはペレだけ。マラドーナはクスリ漬けだ」と合唱して挑発するのが慣例となっている。
それでも11月25日午後にマラドーナの死が報じられると、ブラジルのスポーツTV各局は臨時に長時間の追悼番組を組んだ。
ナポリで一緒にプレーしたカレッカは、「神様、我々のアミーゴであり、兄弟であるディエゴがあなたの元へ旅立ちました。彼を両手を広げて迎えてやってください。彼は私にとって常に特別な存在だったし、これからもそうあり続けます」とインスタグラムでコメント。TVへのインタビューで「60歳になったばかりで、(11月3日に行なった硬膜下血腫の)手術の経過は順調と聞いていた。突然のことでとても驚いているし、悲しい」と声を詰まらせた。