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6年ぶりに復活“二代目”「もつ鍋わたり」ベイスターズへの毒舌も健在「モバ浜の話なんかするんじゃねぇよ」

posted2020/11/20 17:02

 
6年ぶりに復活“二代目”「もつ鍋わたり」ベイスターズへの毒舌も健在「モバ浜の話なんかするんじゃねぇよ」<Number Web> photograph by Hidenobu Murase

二代目「もつ鍋わたり」のオープンに駆けつけた元ベイスターズの中野渡進氏(右)。左は新店主のリーチならぬ、リッキーさん。

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村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

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Hidenobu Murase

 2020年11月。東京・国分寺――。

 再開発ですっかり町の印象が変わってしまった北口の駅前は、かつて日の当たらなかった裏通りにも明るい光が差し込み、あの暗く湿った寂しい道筋を辿ることも困難になった。

 この奥に、あの店があったのは6年も昔のことになる。

「もつ鍋わたり」

 元横浜ベイスターズの投手、中野渡進。身長192cmの平井堅ならぬ避雷針似の中継ぎ投手。勝負球は気合い。木塚敦志(現DeNA投手コーチ)と同期の1999年ドラフトの7位入団ながら、2001年には63試合に登板して5勝1敗、防御率2.61と大きな結果を残した。しかし、翌年ヒジがぶっ飛んで二軍落ち。さらにその奔放な毒舌がたたり入団わずか4年で球団から放逐されると、「あいつら見返してやる」と04年に弟のタケシさんとオープンしたのがこの「もつ鍋わたり」である。

 “元野球選手”の冠に頼らず、自ら厨房に立っては包丁を振い、細山田に芋山田を飲ませながら、兄弟で真剣に向き合った“もつ鍋”は、地元だけでなく舌の肥えた野球選手の間でも評判となり、次第に人気店へと成長。その人柄を慕う現役の選手やプロ野球ファンが、店主に暴言を吐かれに集まってくる不思議な店でもあった。

閉店した「もつ鍋わたり」

 しかし、14年の6月。開店10周年を目前に控え、もつ鍋わたりは急遽店をたたんでしまう(詳細は当時の記事へhttps://number.bunshun.jp/articles/-/821373)。新たな挑戦として選んだのは、まったくの門外漢である精密機器の製造業。学生時代には見向きもしなかった数学をイチから勉強し、野球選手時代の年俸ほどの大きな借金を背負って機械を購入すると、東京の奥地に工場を作り朝から晩まで働き詰めで野球界から消息を絶った。その後、工場の規模も拡大するなど大成功を収めていたと聞いていたのだが……わたり氏から思いもしない連絡が来たのは、秋の声を聞く頃だった。

「二代目もつ鍋わたりを国分寺にオープンする」

 俄かには信じられない言葉だった。あれだけ愛されていながら、強い決意の元に店をたたんだ「もつ鍋わたり」。最後の日だって「てめえら終わりだからってこんなに来やがって、二度と来るんじゃねえぞ!」と暴言を吐いて閉店しているし、店をやめた後もその鍋のレシピが飲食関係者の間で争奪戦になったことで、入間の山奥に永久に封印したと聞いている。

 そんなわたりさんが再び厨房へと帰ってくるのか。工場は? 弟のタケシさんは? “二代目”とは一体誰なのか。そしてなぜ横浜は優勝する優勝すると言いながらできないのか。そんな様々な疑問にモヤモヤしはじめたら、懐かしの東京・国分寺。北口の一番大きなバス通りに面した一等地にある、「九州料理 二代目もつ鍋わたり」が超おススメ。

 ここの初代店主・中野渡進氏はギリギリ東京の山奥で日がな一日、ドリル&エンドミルで精密機器の部品を切削加工する元横浜中継ぎ投手。あまりに人と喋らないため、土曜の朝のお気に入りFMヨコハマ『FUTURESCAPE』にメールを送る寸前だったというので、今回の野次馬ライトスタンドは、中野渡進氏による「二代目もつ鍋わたり」開店の真相と久しぶりのベイスターズ話をお届けする。

【次ページ】 「6年前と大して変わんねえな、オイ」

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