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高校球児のダルビッシュ&イチローとの歓喜、見たことある? Numberカメラマンらが撮った“秘蔵写真”
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byHideki Sugiyama/Getty Images
posted2020/11/09 11:02
2011年の日本ハム時代(左)と今年のカブス時代。ダルビッシュのピッチングは言い知れぬカッコよさがある
(3&4)レンジャーズ時代には最多奪三振
ダルビッシュがアメリカでその名を轟かせたのは、日本ハムからポスティングシステムで移籍したテキサス・レンジャーズでの“ドクターK”ぶりだった。6年総額6000万ドルと言われる契約から、球団の期待の大きさがはかり知れよう。
メジャー1年目となった2012年から16勝を挙げたダルビッシュだが、その潜在能力をさらに見せつけたのは翌2013年のこと。32試合に登板し、209.2回を投げての奪三振数はなんと「277」。最多奪三振のタイトルに輝き、サイ・ヤング賞の投票ではマックス・シャーザーに次ぐ2位に入っている。
なおこの年の初先発となったアストロズ戦では、9回2死まで無安打無四球で“完全試合寸前”までいったが、27人目の打者に安打を許し、快挙達成とはならなかった。
(5&6)日本ハムでの圧巻ラストイヤー
NPBでのラストイヤーとなった2011年、ダルビッシュは圧倒的な存在感を見せた。開幕戦こそ7失点を喫したもののその後は連続無失点イニングを46回に伸ばし、交流戦では43回で自責点1の防御率「0.21」を記録した。
2011年、ダルビッシュの主な最終成績は以下の通り。
18勝6敗 防御率1.44 232回 276奪三振
シーズン後に“珍事”となったのが、沢村賞の行方だ。最終的に田中将大が受賞したが、最多奪三振をマークするなど選考基準をすべて達成したダルビッシュが受賞を逃したのは2008年以来2度目。複数回のケースとなったのはダルビッシュが唯一だった。