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高校球児のダルビッシュ&イチローとの歓喜、見たことある? Numberカメラマンらが撮った“秘蔵写真” 

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photograph byHideki Sugiyama/Getty Images

posted2020/11/09 11:02

高校球児のダルビッシュ&イチローとの歓喜、見たことある? Numberカメラマンらが撮った“秘蔵写真”<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama/Getty Images

2011年の日本ハム時代(左)と今年のカブス時代。ダルビッシュのピッチングは言い知れぬカッコよさがある

(7&8)第2回WBCでの雄叫び胴上げ投手

 2009年第2回WBC、ダルビッシュはイチローらとともに原辰徳監督率いる侍ジャパンの一員として戦った。

 当初は松坂大輔、岩隈久志とともに先発の軸だったが、決勝の韓国戦では抑えとして1点リードの9回からマウンドを託された。ここで一度は同点に追いつかれたものの、イチローの中前打で2点を勝ち越し。そして迎えた10回裏、ダルビッシュが“イニングまたぎ”でマウンドへ。本職の抑えでも極度の重圧がかかるであろうシチュエーションを抑えきり、日本は第1回に続く連覇を達成。ダルビッシュも雄叫びをあげた。

 なおダルビッシュは前年の北京五輪では0勝1敗の成績に終わっていただけに、国際舞台でのリベンジに成功した形となった。

(9&10&11)日本シリーズで“衝撃の立ち投げ”
 2000年代後半、パ・リーグで強さを誇った日本ハム。その中で絶対的エースとして君臨したのがダルビッシュだった。2006年、高卒2年目ながら先発ローテーションに定着すると12勝をマーク。これ以降、ダルビッシュはメジャーを含めて9年連続2ケタ勝利をマークする。

 トレイ・ヒルマン監督率いるチームは44年ぶり2度目の日本一となり、ダルビッシュも日本シリーズ優秀選手賞を受賞した。翌07年も15勝を挙げるなどして自身初の沢村賞を獲得。2年連続日本一こそ逃したものの、シーズン後には史上最年少の2億円プレーヤーとなった。

 また、語り草となっているのが2009年の日本シリーズだ。巨人との第2戦、1敗で迎えた状況で日本ハムの梨田昌孝監督が送り出したのはダルビッシュ。しかしのちに右手人差し指の疲労骨折が判明した背番号11は“立ち投げ”のような状態で挑むことに。万全とは程遠い状態ながら、敵味方を惑わすピッチングで6回2失点。チームを勝利に導いた。

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