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野茂英雄をドジャースに導いた
オマリー会長の人間力と経営力。
text by
笹田幸嗣Koji Sasada
photograph byAFLO
posted2020/08/28 17:30
1995年2月、ドジャースの入団会見でユニフォームを着た野茂英雄と笑顔で握手をかわすピーター・オマリー会長。
野茂英雄がドジャースを選んだ理由。
フリーエージェントとして、’95年1月に米国へ渡り、いくつかの球団と交渉を重ねてきた野茂英雄もドジャースを選んだ理由として当時こんな言葉を残した。
「オマリーさんがいたからです」
ホール氏にこの言葉を伝えると、彼は“その通り!”と言わんばかりに、熱を帯びた口調で話しだした。
「ノモさんが来る以前、ドジャースにはフェルナンド・バレンゼラがメキシコからやって来ました。チャン・ホー・パークは韓国からでした。それ以外にもドミニカ共和国をはじめ中南米からもたくさんの選手が来ました。
オマリー会長はその外国からやって来たすべての選手に『自分は家族と同じように大切に思われている』と感じさせる包容力、魅力があるんです。懐の大きさと言っていいのかもしれません。到底、私などが真似をしたくてもできるようなものではありません。選手だけでなく、球場スタッフなどすべての人たちに『自分はこのチームに必要な人間なんだ』と思わせる。まさにカリスマなのです」
ラソーダ元監督の名言も。
トミー・ラソーダ元監督の「私にはドジャーブルーの血が流れている」は、彼の決め台詞だった。これはドジャースの一員であることの誇りを示した言葉であり、ドジャースにそして、オマリー会長に忠誠を誓う言葉でもあったと感じる。ホール氏が言う。
「ドジャーブルーを着るということは、立場に関係なくお互いをリスペクトし、仲間のために奉仕をし合う精神にありました。自分のために尽くすベストは、周囲の仲間のためにもなるということを当時のドジャースのメンバーは全員がわかっていたのではないでしょうか。
これもオマリー会長の人間力の賜物と感じます。私も経営に携わるようになりましたが、努力はしてもオマリー会長と同じようにリードしていくことはなかなかできません。誰にもできることではないのだと感じています」