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野茂英雄をドジャースに導いた
オマリー会長の人間力と経営力。

posted2020/08/28 17:30

 
野茂英雄をドジャースに導いたオマリー会長の人間力と経営力。<Number Web> photograph by AFLO

1995年2月、ドジャースの入団会見でユニフォームを着た野茂英雄と笑顔で握手をかわすピーター・オマリー会長。

text by

笹田幸嗣

笹田幸嗣Koji Sasada

PROFILE

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AFLO

 1995年。当時ロサンゼルス・ドジャース広報部の職員だったデリック・ホール氏は、野茂英雄の開拓者魂に心を打たれた。

 信念を曲げず、己を貫き通す強さ。加えて直球とフォークボール、たったふたつの球種でメジャーリーガーをなぎ倒していく圧巻の投球スタイル。当時26歳の若き広報部員は日本からたったひとりやって来た自分と同い年の野球選手の生き様に憧れを抱いた。

 同時にベースボールの世界で大志を抱くホール氏には、野茂同様に憧れを抱くもうひとりの人物がいた。

 ドジャースのオーナーを務めていたピーター・オマリー氏だ。

「野球人としての憧れがノモサンならば、ビジネスで最も影響を受け、強く憧れたのがオマリー会長でした」

「働きやすい会社100」に選ばれた経営姿勢。

 当時のドジャースと言えば、オマリー会長のオーナー一族が経営するファミリー球団。父のウォルター・オマリー氏から1970年に球団経営を引き継ぎ、’98年の球団売却まで29年間にわたり経営トップを務めた。

 その間、アメリカ経済誌『フォーチュン』が発表する「働きやすい会社ベスト100」に’84年、’93年、’97年と3度選出され、年間最優秀団体にも5度選ばれるなど、アットホームで温かみのある経営姿勢は高い評価を得た。今ではアリゾナ・ダイヤモンドバックスのCEO兼社長にまで上り詰めたホール氏も当時をこう回顧する。

「オマリー会長は選手や球団職員だけでなく、ドジャースで働くすべての人に対し本当の家族のように気遣い、接してくれました。スタジアムで働く売り子さんやエレベーター係、セキュリティ・スタッフまですべての人に対してです。オマリー会長のこういった姿勢は私自身が経営の道に進む上で最も影響を受けた部分であり、まさに球団社長として目指すべきお手本です」

【次ページ】 野茂英雄がドジャースを選んだ理由。

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