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モウリーニョ独占インタビュー。
「ジョブズと聖書と守るべきもの」
text by
豊福晋Shin Toyofuku
photograph byTamon Matsuzono,Takuya Sugiyama(in the article)
posted2020/06/30 10:00
現在はトッテナムの監督を務めるモウリーニョ。インタビューは2度目のチェルシー監督就任時に行われた。
人生にもサッカーにも「信仰は必要だ」。
――信仰は道徳の欠如を救ってくれるのでしょうか? 世界を見ていると、宗教が問題を生むことも多い。信仰とは人間にとって、サッカーにとって必要なのでしょうか?
「信仰は必要だ。人生においても、サッカーにおいてもね。『信じることは力だ』といった、ありふれたことを言うつもりはない。サッカーというスポーツの現実として、願っていても結果がでないことはあるわけだから。
しかし何かを強く信じることは、その人を後押ししてくれるはずだ。世界には実に様々な宗教がある。大事なのは、他宗教に対するリスペクトだ。イスラムを信仰していて、ラマダン(断食)中の選手がいたとする。彼らはしばらくの間飲まず食わずだから、2部練習を特別に1度にしたり、暑ければ練習を夜にしたりもするよ」
毎試合前、ホテルの部屋で2分かけて聖書を読む。
――聖書は読みますか?
「毎試合前、ホテルの部屋で2分かけて読んでいる。聖書をランダムに開いて、目に留まった章をたどる。そこには救いや希望がある。私はそれで少しだけ前向きになることができる。それは心に平穏を与えてくれるメッセージのようなものなんだ。
何かを後悔したことはあるか、そう聞かれることもある。もちろんある。私だって人間だ。あの時違ったように振る舞っていたら、と思うことはある。ただ、それらは試合中に熱くなっている瞬間のものだ。サッカーとは情熱だ。冷静な状態だったらやらないようなことをしてしまうこともあるけれど、それもサッカーの一部。
しかしピッチの上で起こったことはそこで終わる。問題を起こした人と翌朝に道で会ったとしたら、それまでと変わらずに振る舞うだろう。人々がサッカーを愛しているのは、そこにほとばしる熱があるから。それは時として人の感情を失わせることもある。だからこのスポーツは魅力的なんだ」
モウリーニョの言葉には強さが宿っている。しかしその言葉の裏側、人間としての彼の中には、選手への思いや、薄暗いオフィスでの時間、道徳、そして自らの弱さすら同居している。
救いや希望を求め、試合前にホテルの部屋でひっそりと聖書を手に取る彼の姿を、テレビ画面の中のモウリーニョしか知らない我々は、一体どうやって想像できるだろう。
降り続けていた小雨はやがて本格的な雨となり、西ロンドンの緑を濡らし続けている。話を終えたモウリーニョは、またいつか、と言って車に乗り込み、静かに去っていった。彼が発していった言葉の残像に雨音が重なっていく。
ジョゼ・モウリーニョの印象は、今回のインタビューを終えて再び変わることになった。これほどの強さと繊細さを内部で兼ね備えた監督に、まだ出会ったことはない。
(841号「独占インタビュー モウリーニョ『聖書とジョブズと守るべきもの』」より)