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浅野拓磨が高校生90人に語ったこと。
「誰よりも自分に一番期待して」 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byTakahito Ando

posted2020/06/10 11:30

浅野拓磨が高校生90人に語ったこと。「誰よりも自分に一番期待して」<Number Web> photograph by Takahito Ando

新潟明訓高校のリモートミーティングにゲストとして招かれた浅野拓磨。自身の経験をもとに高校生たちへメッセージを送った。

将来の自分を想像して逆算する。

「目の前の結果も大事なのですが、将来の自分をどう描けるかがより重要だと思います。僕が目指しているのは2年後に迫っているカタールW杯。世間的に見たら『もう浅野はW杯に行けない』と思われているかもしれない。ドイツを離れ、ベオグラードに移籍すると決めた時も、『浅野は終わったな』とか、そこから日本代表に入るなんて無理だと思われることは覚悟していました。

 でも、僕は代表復帰できた。何を伝えたいのかと言うと、周りの目なんて気にせずに、将来の自分に対して何ができるのかに目を向けてほしい。今、みなさんが直面しているのはインターハイがなくなってしまって、選手権もどうなるかわからないという状況。大変だと思いますが、その半年後、1年後だけではなく、5年、10年、15年後の自分が『どうなっているか』ではなく、『どうなりたいか』を想像して、夢や目標を達成するために何をすべきかに向き合ってほしい。

 たとえば、10年後の夢があるとするじゃないですか。その10年後、なりたい自分に対して、では8年後は何をしておくべきなのか。さらに5年後は? 3年後は? 1年後は? では今は、何をすべき? そうやって逆算していくことで今が整理できる。逆算力は本当に大事で、その力を発揮するために『なりたい自分』を生み出す想像力も必要なんです」

どんな環境でも中心としてプレーする。

 浅野のサッカー人生はまさにその逆算力に集約されてきた。

 浅野は7人兄弟(男6人、女1人)の3男として生まれた。家計が苦しい中、サッカーを続けさせてくれた両親に感謝しながら階段を上ってきた。

 近年では、強豪クラブチームや私立の中高一貫の学校でレベルアップを目指すのがスタンダードだ。現に今回、講演会に参加した新潟明訓高サッカー部員のほとんどがクラブチーム出身。中にはアルビレックス新潟の下部組織出身の選手もいる。だが、浅野はクラブチームなどに属さず、地元中学のサッカー部でプレーした。「一度もクラブチームでプレーしたいとは思わなかった」と振り返る。

「どこにいても自分がそのチームの中心になってプレーできるようにする。だから学校と別にお金がかかるクラブチームに行くという選択肢はなかった。地元の小中学校のサッカー部で頑張るということが、僕にとっては当たり前でした」

 中学時代にこんなエピソードがある。浅野が通った八風中のサッカー部は、県選抜に入るような同級生も在籍したが、中学からサッカーを始めた初心者の仲間たちも多くいた。紅白戦では浅野ともう1人のエースがジャンケンをして選手を1人ずつ取り合っていくのだが、浅野は初心者の子ばかりを指名したという。

「自分だけが活躍するというより、サッカーを始めたばかりの友達にゴールを取らせたいと思ったんです。実際に取れたらめちゃくちゃ嬉しい。僕はミスしても怒らないし、イライラしないので、初心者の人たちが『僕のチームに入りたいから取って』って裏で言ってくるんです(笑)。なので、結果的に両チームの実力差がめちゃくちゃ開く。でも、僕らが勝つんですよ。

 そこで僕が学んだのは『サッカーってチームスポーツなんだな』ということなんです。僕のチームが点を取ると、だんだん相手チームは1つのミスで誰かが怒ったりして、雰囲気が悪くなるんです。イライラしだしていることがわかるので、逆にこっちにもっとチャンスが出てくるし、ポジティブな声が出てくる。個々が持っている実力がすべてではないと思いましたね」

 モチベーションが高い選手と一緒に戦うことで、チーム全体の力を活性化させ、そして自分も生かされ、勝利に繋がる。そんなエピソードに、高校生たちは驚いた表情を見せていた。

【次ページ】 成果ではなく、自分の成長に。

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