野球クロスロードBACK NUMBER
1991年夏の佐賀学園vs.天理を忘れない。
若林隆信青年が見せてくれた意地。
posted2020/05/16 11:50
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Kyodo News
1970年代生まれが野球少年だった頃。「甲子園のヒーロー」と言えば、PL学園の桑田真澄と清原和博の「KKコンビ」が、おそらく圧倒的多数を占めるはずである。
1983年。1年生の夏から主戦投手と主砲として全国制覇を経験し、5季連続で甲子園に出場。優勝2回、準優勝2回という他の追随を許さない圧巻の成績で一時代を築き、個人の通算記録でも桑田の20勝と清原の13本塁打は、今も破られていない金字塔だ。
当然、私も彼らの存在はリアルタイムで知っていた。しかし、記憶はおぼろげで「甲子園のヒーローか?」と聞かれれば、そうだと即答できるような存在ではなかった。
私にとって、絶対的な甲子園のヒーローとは佐賀学園の若林隆信であり、その名を全国に知らしめた'91年夏の甲子園2回戦の天理との一戦が、鮮烈な記憶として刻まれている。
「あの試合を覚えてくれているなんて」
剛腕を打ち砕いた一発。強力打線をねじ伏せた投球に、中学2年生の私は心を奪われた。
たまたま録画していたハイライト番組のビデオテープを何度も再生しては、打撃フォームを真似たものである。
「僕を取材してくれるんですか? 嬉しいですね。あの試合を覚えてくれているなんて」
若林に天理戦の話を聞いたのは、あの夏から14年後の2005年だった。高校時代の自身の歩みに、彼は誇りを持っていた。
「小さい時からプロ野球選手を目指してきたなかで、甲子園は通過点だったのかもしれない。けど、高校最後の夏に、天理高校っていう優勝候補に勝てたことで『やってきたことが間違いじゃなかったんだ』と思えましたね。本当に集大成の試合でした」
若林は「エースで4番打者」という、佐賀学園における大黒柱だった。
甲子園に出場した時点で高校通算45本塁打。投手としても、ストレートの最速は当時で「プロ注目」の指標とされていた140キロを超えていた。「チームメートを信頼していましたけど、自分が打って、抑えて勝つって本気で思っていましたから」と真顔で言うほど、高校時代の若林は矜持の塊だった。
それは、甲子園2回戦の相手が天理に決まっても不変だった。
下馬評での佐賀学園は、圧倒的不利にいた。