野球クロスロードBACK NUMBER
1991年夏の佐賀学園vs.天理を忘れない。
若林隆信青年が見せてくれた意地。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byKyodo News
posted2020/05/16 11:50
佐賀学園の若林隆信が天理高校の谷口功一から本塁打を放った瞬間の写真。谷口はドラ1で巨人入団を果たすも肩を痛めて活躍は難しかった。
「1勝できれば御の字」扱いだった佐賀県勢。
佐賀学園は、この夏に3度目の甲子園出場を果たし、初戦でチーム初勝利を飾った新鋭。佐賀県勢の実績自体も、当時、ベスト8以上は'60年夏にベスト4に進出した鹿島のみで、「1勝できれば御の字」と言われるような弱小扱いだった。
かたや天理は、前年に2度目の全国制覇に輝いており、「全国ナンバー1」の呼び声あるエース・谷口功一をはじめ、優勝を知るメンバーも残っている。新チーム結成後から近畿では負け知らずで、夏の連覇を期待する声も多かった。佐賀学園との力の差が歴然だと評されるのも、今ならば頷ける。
若林はチームの落胆を感じていた。
「実際には見ていないですけど、次の相手が天理に決まった段階で、帰り支度を始めた選手もいたんじゃないですかね。それくらい強い相手でしたから」
だからといって、消沈ムードが若林にも伝染したわけではなかった。「俺が打って、抑えれば勝てる」と、いつも通りのモチベーションを保っていたし、より一層、燃えていたという。
「オヤジ、俺、負けたら野球辞めるわ」
2回戦までの調整期間、「勝てる」という自信から「絶対に勝つ!」といった、公約にも近い覚悟が芽生える出来事があった。
天理戦2日前の練習後のことだ。囲み取材で、若林は「絶対に勝ちますから」と宣言すると、ひとりの記者が「あ~、そうなんだ」と失笑した。高校生とはいえ、苛立つ。
「絶対に勝ちます!」
もう一度、念を押すように声を張ると、その記者は「じゃあ、頑張って」とやり過ごす。熱意を全否定されたような気がした。
その日の夜、若林は佐賀の実家に電話した。
子供の頃から「最高の指導者」と、全幅の信頼を置く元プロ野球選手の父に、若林ははっきりと告げた。
「オヤジ、俺、負けたら野球辞めるわ。谷口くらいのピッチャーを打てんようじゃ、天理を抑えられんようじゃ、プロに行けたとしても通用しないから」
息子の決意を包み込むように、父から静かに背中を押された。
「分かった。じゃあ打って、勝て」
覚悟と決意。そこに執念が宿った瞬間だった。