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「もう時効」だから大仁田厚が語る
ノーピープル戦と電流爆破への伏線。

posted2020/05/06 19:00

 
「もう時効」だから大仁田厚が語るノーピープル戦と電流爆破への伏線。<Number Web> photograph by Hidenori Daikai

海外武者修行の経験を生かしたアイデアと情熱で、プロレス界を盛り上げた大仁田厚。その姿勢から見習うべき点は多いはずだ。

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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Hidenori Daikai

 なかなか収束の糸口が見えてこない、新型コロナウイルスの感染拡大。プロレスも他のスポーツと同様に、現在、興行はすべて中止。この状況が長く続くのは各団体や選手にとって死活問題となるため、プロレス界では今、細心の注意を払いながら無観客試合を動画配信することに活路を見出そうとしている。

 プロレスにおける無観客試合の原点といえば、1987年10月4日に行われた、アントニオ猪木vs.マサ斎藤の“巌流島の決闘”が有名だが、あの大仁田厚もFMWを旗揚げした1年目に無観客試合を行っている。'90年6月24日、東京・夢の島運動公園総合体育館剣道場でのターザン後藤戦だ。

 当時、「ノーピープルマッチ」と呼ばれた無観客試合を“夢の島”で行ったのは、猪木vs.マサの巌流島を多分に意識した一種のシャレであろう。この大仁田vs.後藤が無観客で行われた経緯はこうだ。

「身内のケンカをお客に見せたくない」

 1989年10月のFMW旗揚げ以来、大仁田の盟友として団体を支えてきた後藤だったが、'90年6月になるとフリーとして参戦してきたミスター・ポーゴと行動を共にするようになり、6月9日の海老名大会でついに大仁田と仲間割れ。これをきっかけに両者は対立するようになり、大仁田の「身内のケンカをお客に見せたくない」という考えから、無観客試合として行われることとなったのだ。

 舞台となった夢の島運動公園総合体育館剣道場は、平均的な小中学校の体育館程度の大きさで、興行をするには小さすぎるが、“無観客”には最適だったのだろう。会場の外には、この試合を一目見ようとファン数十人が集まっていたが、完全にシャットアウトし、スポーツ紙やプロレス雑誌のマスコミ関係者だけが入ることを許された。

 こうして無観客の静寂の中で行われた試合は、後半闘いがヒートアップすると、両者は場外乱闘ならぬ“会場外乱闘”を展開し、ファンをよろこばせた。そして再び会場内に戦場を移すと、外からかすかに聞こえる「大仁田コール」の中で闘い続けたが、結果は33分49秒、両者KOの引き分けに終わった。

【次ページ】 大仁田が明かした“真相”。

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