ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「もう時効」だから大仁田厚が語る
ノーピープル戦と電流爆破への伏線。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byHidenori Daikai
posted2020/05/06 19:00
海外武者修行の経験を生かしたアイデアと情熱で、プロレス界を盛り上げた大仁田厚。その姿勢から見習うべき点は多いはずだ。
大仁田が明かした“真相”。
試合後、大仁田は血だるまでふらふらになりながら会場外で待つファンの前に現れ、「今度はお前らの前で決着をつける!」と約束。そしてこれが8月4日にレールシティ汐留で行われた、今や伝説となっている、初のノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチでの決着戦につながるのだ。
筆者が先日、この30年前の無観客試合についてインタビューすると、大仁田は「もう時効だよ」と笑いながら、次のように“真相”を語ってくれた。
「あの試合は、『身内のケンカは見せたくない』ってことで、ノーピープルでやったんだけど。まあ、正直に言えば、後藤との一騎打ちを盛り上げるための1つの仕掛けだよな。
だって、そうだろう。FMWで後藤っていう身内と敵味方に分かれて闘うのは初めてなんだから。それを客を入れて前哨戦をやってしまったら、リアルタイムで客がそれを見ちゃうわけでしょ? そうすると、いざ初の一騎打ちをやっても新鮮味がなくなるんだよな。
だから前哨戦をやるよりも、ノーピープルで見たくても見れない状況を作って、それを東スポや週プロ、ゴングなんかで報じてもらったほうが逆に想像を掻き立てるからいいかな、と思ってね。
今の無観客とはまったくケースが違うけど、そういう考えがあったんだよ。あの頃のFMWにおいて、ビッグショーで闘う相手はやっぱりターザン後藤しかいなかったから。それをいかにして盛り上げることができるのかっていう勝負だったからね」
ローラーとファンクの試合がヒントに。
'90年上半期における大仁田の抗争相手は、“イス大王”栗栖正伸と、ドラゴン・マスターことケンドー・ナガサキだったが、栗栖は新日本プロレスに引き抜かれ、ナガサキも新興団体SWSに参戦したため、夏に予定していたビッグマッチで対戦するにふさわしい相手は、後藤しかいなかったのである。
その後藤との初の一騎打ちを盛り上げるために、ノーピープルマッチでの前哨戦を行うというアイデアは、大仁田の海外武者修行時代の経験から生まれたものだという。
「(アメリカの)テネシーで修行時代、ジェリー・ローラーとテリー・ファンクが観客がいない体育館で試合をやったって聞いたことがあってさ、それが頭のどっかにあったのかもしれないな」