ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「もう時効」だから大仁田厚が語る
ノーピープル戦と電流爆破への伏線。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byHidenori Daikai
posted2020/05/06 19:00
海外武者修行の経験を生かしたアイデアと情熱で、プロレス界を盛り上げた大仁田厚。その姿勢から見習うべき点は多いはずだ。
逆境を跳ねのけたアイデアと情熱。
1990年といえば、新日本で武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の闘魂三銃士の人気が爆発。全日本も三沢光晴が、新時代の旗手として大活躍した年。彼らを抑えての2冠王が、いかに快挙だかわかるだろう。
またこの年は、メガネスーパーという企業をバックにした新団体SWSが旗揚げした年でもある。その豊富な資金力によって、「プロレス界全体がメガネスーパーに乗っ取られる」とまで言われたあの時代に、たった5万円の資金で旗揚げしたという極貧伝説を持ち、「すぐに潰れる」と言われた大仁田のFMWが、主役の座をかっさらったのだ。
その奇跡的成功の1つのきっかけになったのが、夢の島での無観客試合だったのである。
もちろん、現在のコロナ禍と当時とではまったく状況は異なる。とはいえ、逆境をものともせず、アイデアと情熱、そして実行力ですべてをひっくり返した、当時の大仁田のバイタリティには、今も見習う点がきっとあるはずだ。
なお、大仁田は'92年6月30日にも関ヶ原でタイガー・ジェット・シンと無観客試合を行っている。これは同年9月19日、横浜スタジアムでの大仁田vs.シンの事実上の“煽り”であったが、やはり二番煎じ感は否めず、そこまで大きな盛り上がりとはならなかった。
先の見えない現代。この状況を打破する答えをまだ誰も見つけていない今だからこそ、これまでにない発想が求められている。