オリンピックへの道BACK NUMBER
重傷にも挫けず、人を尊重する──。
井上康生、名選手が名将になれた訳。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byYUTAKA/AFLO SPORT
posted2020/05/02 11:00
2008年5月2日に行われた引退会見では笑顔も見せた井上康生。好成績のリオ五輪に続き、来年の東京五輪でも期待がかかる。
華麗にも見えた歩みは暗転する。
そんな華麗にも見えた歩みは暗転する。
連覇を狙った2004年のアテネ五輪は、日本選手団の主将として臨んだが、重圧があったか、準々決勝で敗れ、敗者復活戦でも負けてメダルを手にすることはできずに終えた。
そこから立て直した井上に、大きなアクシデントが襲う。2005年1月、嘉納治五郎杯で優勝したものの、決勝の試合中、右胸大胸筋腱断裂の重傷を負ったのである。
腱は元には戻らなかった。可動範囲が狭くなり、本来の技の切れは失われた。
得意としていた内股や大外刈りの満足いく崩しや掛けはできなくなった。
怪我を言い訳にすることはなかった。
だが、井上は怪我を言い訳にすることはなかった。練習に励み、もう一度技を取り戻そうと努めた。もがいた。
それはかなわなかったかもしれない。でも、懸命な、真摯な姿は、かえって井上を輝かせるように、応援する人々を増やしていった。
仮に、明と暗があるとすれば、暗にあたるアテネ以降の過程に、それ以前と同等の、あるいはそれ以上の価値があった。真骨頂と言っていいかもしれない。
迎えた引退会見で、井上は言った。
「柔道人生に悔いなしという気持ちです」
その言葉通りの競技人生だった。
会見では、指導者を目指すことを明らかにした。
「強さはもちろん、人間的にも素晴らしい、皆さんに愛される柔道家を育てたいと思います」
「すべての選手に金メダルを獲らせてあげたいです。そういう情熱を注いでいきたい」
日本代表監督に就任したのは、2012年11月だった。
「覚悟をしっかり固めた上で引き受けました。大変責任を感じています。全身全霊を懸けてやってまいりたいと思います」