オリンピックへの道BACK NUMBER
重傷にも挫けず、人を尊重する──。
井上康生、名選手が名将になれた訳。
posted2020/05/02 11:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
YUTAKA/AFLO SPORT
2008年5月2日。
その日、井上康生は記者会見を開き、現役生活に終止符を打つことを表明した。
すでに4月29日の全日本選手権準々決勝で敗れ、目指していた北京五輪代表が遠のいたとき、その意向は示していた。
それでも正式に発表されれば、一抹の寂しさはぬぐえなかった。
一時代の華だった。
1999年の世界選手権で優勝すると、2003年まで3連覇を達成。
何よりも井上の名を広く知らしめたのは、2000年のシドニー五輪だった。
「組んだら一本」と評されたことも。
100kg級の本命と言われて臨んだ大会で、井上はプレッシャーもなく、もてる力を発揮する。
初戦となった2回戦は18秒、3回戦は16秒で一本勝ちをおさめたのだ。対戦相手も井上の強さを熟知し、組み手争いなど対策を施してきた。だがそれをものともしない強さを見せつける。
準決勝も一本勝ちし、迎えた決勝。相手のギル(カナダ)は容易に組ませない。それでもつかむやいなや、最も得意とする内股を仕掛けると、ギルは背中から畳に叩きつけられた。
スピード、切れが図抜けていた。「組んだら一本」。そう評されたこともあるほどだった。
しかも鮮やかな投げ技を決める姿は、一本を獲りに行くことをよしとする日本柔道の体現者と言ってよかった。一躍、柔道界を超えたスターとなり、人気を集める柔道家となった。